忠臣蔵って、あるやろ?
あれ…吉良側したら、わけわかめだよな。
殿中で斬りかかってきた奴が、その罪で切腹させられたら
その一年後に、そいつの部下がいきなり家に押し入って、、殺しに来たんだぜ?
戦争中でもなんでもない平時にだ…これただのテロリストやぞ
で、まぁ、国民はそれを美談として支持し、いまでも演劇やらで演じられ…大石倉之助含む、奴らは”英雄”として語られているが…
浅野だけに切腹を命じた司法側の記録もあるのに、度外視であるしなぁ…
堀部安兵衛だかみたいなのも、トモダチ枠で参加して切腹しているからして、まぁ…理由はあるのだろうが…それにしたってこれ、、普通に考えたらヤバイぞ
麻原とかの仇討ちじゃ!彼の思想と想いをかなえるのじゃ!とかゆうて、同じように宗教つくてからの、テロ起こすのとなーんもかわらんきに。
なぜこれが…美談なのか、わしにはわからぬ
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どちらが真実かわからないですが…民衆がテロの”味方”をした事実があるので、美談にしたんだろうと考えてますねぇ。
そうでなかったら、計画を実行する前に捕まっているはずなので。
これが吉良個人ではなく、もっと上のをターゲットにしたのであれば、、また別だったのかもしれないですが…ターゲットが”個人”であり明確だったからこそ、匿われた、という見方もできますしね。
今で言ったら、犯罪者の家族が、逆恨みで被害者の家に押し入るようなものなのですが…
「仇討ちなど考えていない。もう主君を恨んでもいない」
――と公言していた記録もある(遊女相手に)
みたいなのもあるので、、もう、タダの私怨に近かったのかもしれんですな
ななしさん
私の思っているもので、間違いがありましたらすみません。
家臣思いで家臣から慕われるお殿様、浅野内匠頭。
吉良上野介から陰湿ないじめを受け続ける。
耐えかね殿中での狼藉。
この時の吉良のケガは背中の3針と額の傷程度。
この時代は喧嘩両成敗が通例であるにもかかわらず、吉良には咎め無し、浅野には十分な審議も無しに即日切腹の上御家断絶。
切腹に於いては身分にそぐわぬ不当な扱いばかりで、最後の最後までいじめ抜かれて死んだような形。
浅野家はお家の再興と吉良の処分を幕府に求め続けたが認められず。
当時、仇討ち自体は合法であったが、
この仇討ちは許可を得ておらず、幕府の処分への反発になる事から、
47人が処罰、つまり命を賭す覚悟で、
松の廊下、内匠頭の切腹から1年と7ヶ月後、
討ち入りを決行する。
幕府は今度は時間をかけて審議し、討ち入りをした者達に、打ち首ではなく、武士としての名分の立つ、切腹を言い渡す。
歴史は勝者に都合のいいように切り取られ、残ります。
私としては吉良よりも幕府がどうにも悪く感じます。
吉良は松の廊下で切り返していないから喧嘩ではないとするとしても、もっといろんな場面で幕府は動きようがあり、それをしなかった事でたくさんの人が命を落としたり、損害を被りました。
吉良側の人も含めて。
責任のある立場の人の差配はとても大事で、それを怠ったり間違ったりする事は、酷い結果を招くのだと思います。
吉良は悪くなく、浅野が通例を知らずに無礼だったとか、大石らは主君の名誉よりも自分達の保身のために浅野を被害者に仕立てて仇討ちで正当性を示すために利用しただけとかの説もあるとか。
死人に口なしだし、真相はわかりませんが印象操作で悪者にされたとしたら酷い話です。
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