「たったそれだけのことで……?」と驚くようなことで気持ちが軽くなる、救われるようなことがあるのだろう。たったそれだけのことで、感謝されたり褒められたり……
もうなんか、すれてるというか
そもそも、ひねくれ者というか
自分がこんなことでは救われないという思いが強くて、そんなこともできなくなるような感覚。
『わたしが誰かの言葉じゃ救われないから、わたしは誰かに言葉をかけることができなくなった』と。たとえばそんな話。たとえなのか、真実なのか定かじゃない話。
そんなことを考えていて、でも、日常を生きていて
愛想の良い店員さんだと気持ち晴れやかだし、たったそれだけ、「ありがとう」の一言があるだけで実はちょっと生きやすい。そんなことはあるのかもしれない。そう思った。
でも言葉を発することが不可能だったり、苦手だったりもあるだろうから、それができないことで悪印象を持たれてしまうことを責めて「自分はなんてダメなんだ……」となる人を出したくないので、ある出来事に肯定的な姿勢を見せすぎるのも怖いのだ。
人によってはぶっきらぼうに捉えられるような人が、自分にとっては心地良いこと。
人によっては愛想良く捉えられるような人が、自分にとっては心地悪いこと。
それはきっと存在していて、だから、世間一般的に仮に、ボクの性格がサイテーサイアクで終わってたとしてもワンチャン誰かにとってはサイコーセンキューアリガトウ!!で始まるかもしれないと考えることは、そう考えることこそがマジサイアクだとしてもボクはボクが大好きです。
文脈おかしいとか意味わかんないとか思われているだろうか?
そういうノリというか、ボクはボクが心地良いままに書いている(これはもう『文章を描いている』というほうが今のノリ的に合っているのでは?)。ので、読みやすさとか日本語の正しい使い方とかそんなのは知るか。
人を選ぶよね〜
文学だとか、芸術だとか、あらゆるものが人を選び選ばれている。
ふるいにかけたり、てんびんにかけたり、すうじをかけたり書いたり描いたり……
また遊んでるなあ。楽しくなっちゃってるなあ。
だいたいこういう時は思い浮かんだ言葉を並べてるだけで深い意味はないです。毎分毎秒、伝えたいことがあるわけじゃないよ。手紙(投稿文)を作成中に、一文字も無駄なものなくすべてが重要。1音も聴き逃すな!みたいなことないから。わたしのこれらはテキトーだから。相変わらず他の人のことは知らんが、わたしは自分が、「ここに書いてあることすべてを拾ってほしい。余さず読んでほしい」などと思っていないことはわかる。
むしろ「読まなくていいぜ〜( ´∀`)b」って考えていることがわかる。
貴方が、「理解してあげなきゃ……」などなど思っていることはまるで知らない。貴方が頭に「?(はてな)」を浮かべていることなどもわからない。
まあでも、とりあえず、「この小瓶を拾ってくれてありがとう」という感謝を置いておこう。ほしい人が持って帰れるように置いておこう。
「ありがとうございます」
「すみませんでした」
「おはよう!」「おやすみzzz」
このへんも置いとくか。
じゃあ
「ばいばい」「またね」
誰でも無料でお返事をすることが出来ます。
お返事がもらえると小瓶主さんはすごくうれしいと思います
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