幼い頃、「人に優しくしなさい」と誰もが一度は教わっただろう。私もその1人だ。人に優しくすれば、いい事があると。
大人になって思う。
「人に優しく」ってどういう意味なんだろう。人に優しくしても、一方通行になることが多々ある。私の「優しさ」・「気遣い」を当たり前のように思い、更に要求がエスカレートする。そんな日常に疲れてしまう。
そしてまた別の大人たちは「自分を守ることが出来るのは自分自身だけだよ」と言う。
待て待て…
自分を大切にすることは自分を優先することで、他人を犠牲にしなければならないのか…?今まで作り出した私の優しさは、間違いだったってこと…?
そもそも、自分を犠牲にした上での他人への優しさだったのか…?
本当に優しい人はさほど、他人に興味が無いともいう。他人にそれほど興味がないから、自分と他人の境界がはっきりしていて、あくまで自分軸で生きられるから優しく出来るのだと。
そんな器用な生き方出来る?
すぐ他人に感情移入してしまう私には難しい生き方すぎる。
生きるのって難しい。
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まろまろりーぬ さん、
他人に優しく接することのできる人は、見返りを求めない。
「見返り」という概念がない。
自分に対する要求がエスカレートしてきて疲れるのは、無意識下で何かを期待していることの裏返しなのかも。
優しさや気遣いが実際にそうであるかどうかは、周囲の目が判断すること。
それを受容できて初めて「自分を守る」ことができる。
自分と他人の境界をはっきりさせることは心無い行為に見えて、実は互いに心地よく過ごすための礎となる考えでもある。
「他人に関心を抱きすぎない」これ大事。
そうすれば優先・犠牲といったバイナリーな見方から脱却できるはず。
私も同じことを言われて大人になり、
自分を守れるのは自分だけだと痛感しました。
優しいふりをする人間もいるし、
何を信じて何を信じないかが全て自己責任。
優しさや親切には同じものを返す。
敵意には敵意を裏切りには制裁を。
恩も仇もきっちり返したいと思うようになりまたね。
ななしさん
子どもの頃は誰もが未熟で、自分中心に振る舞いがちなので、「わがままばかり言って周りの子を困らせないよう、思いやりをもってほしい」という意味で、「人に優しくしなさい」と言われるんでしょうね。
今の小瓶主さんは子どもじゃないので、人に優しくしようなんて頑張る必要ないと思います。
「気遣い」をさらに要求する図々しい人も周りにいるようですし。
「むやみに優しくはしないけれど、困っている人には親切にする」とか、「この人に優しくしても良いことは起きないかもしれないけれど、自分が気分がよくなるから優しくする」などマイルールを決めれば、ちょっと生きやすくなるかもです。
ななしさん
パンを分け合う時に、分けた人が先に選ばずにまず相手に好きな方を選んでもらい、残った方を分けた人が受け取る。
もしくは、
パンを分け合う時に、「あなたお腹空いてる?」などと対話して、分け方を調整したり。
『私の「優しさ」・「気遣い」を当たり前のように思い、更に要求がエスカレートする。』
↑こういう人は、優しさを上げすぎない。花に水をあげすぎて根腐れしれいる。根腐れと表現したけれど弱るわけではなく、スーパーマリオのパックンフラワーになる場合は要注意。
相手がただただ甘えているだけで、自立できなくなりそうな場合もあるから、そういう弱り方も相手のためにならない。
見極めが難しいとは思う。
相手が話しかけやすそうな雰囲気をまとって、相手が弱っていそうな時に一言かけて、
そのくらいじゃないかなぁ、と私は思う。
ななしさん
優しくされた時だけ優しくしたら良いのではないでしょうか?私は他人がどのように生きていてもどうでも良いので正解が分かりませんが、まろまろりーぬさんがやりたいようにする以外にないと思いますよ。
難しいよね…
自分を優先して生きるのだって悪いことじゃない
だけど、皆自分の事しか考えられない~~みたいなこと言われるし
人を優先するって言っても、疲れたり、誤解されたり、逆に要求する人もいるし
私も、他の大人たちも良いことしか言ってないんだと思う
難しいよね、、、
人にやさしくするって言うのも簡単じゃないよね…
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