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思えば子供の頃から、この感覚と感情を抱いて生きてきたような気がする。誰からも、(厳密に言えば8割くらいの人から)やんわりと距離を置かれる、もしくはシンプルに好かれない

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思えば子供の頃から、この感覚と感情を抱いて生きてきたような気がする。

誰からも、(厳密に言えば8割くらいの人から)やんわりと距離を置かれる、もしくはシンプルに好かれない。

何をしたわけでも、言ったわけでもない。ただ、会って一言二言、で多分“あ、この人合わないな”、とか、“つまんないな”とかってきっと思われて、多分彼らのなかでの人間関係ヒエラルキーの圏外に、勝手に分類されているんだ。そう思っていたし、いまもそう思っている。

なんでだろう。考えるとやっぱり悲しい。というか、虚しい。

自分に心当たりがあるか、と言えば、自己肯定感の低い私だからいくらでも自分の悪いところとか、嫌われそうな部分とかは挙げられる。でも、それでも、具体的に相手の気分を害するようなことはした覚えはなくて、思いつくことといえば、“真面目すぎてつまらない”、とか“表情が乏しかったから”とか、そんなところばかりだ。

よく、そんなことを誰か気のおけない人に相談したりすると、考えすぎだ、とか、そんなことないよ、とか慰めの言葉をくれるけれど、私が思うに、そういうふうに感じる人たちは、本当にそう感じていて、だけどそれはこの世界の人間のごくわずかの人間に限られる、ってそう感じている。

つまり彼らの脳内には私を嫌う回路がなくて、でも残り8割の人には、どうやらその回路があるみたい。

こんな文章を書いていると、なんて自分は卑屈なんだろう、って思うし、なんならそういう卑屈さが隠し切れてなくて、嫌われてしまうのかなんて思うけど、でも私が元気に明るく振る舞っている時ですら、やっぱりその回路がアクティベートされてるのを感じることが大半だ。

思い込みだろうが事実だろうが、別に嫌われたっていいじゃない、っていう声が聞こえてくる。

そういうふうに思おうという気持ちもあるけれど、やはり行くとこ行くとこでやんわり好かれない、距離を置かれる、っていうのは普通に生きていくうえで結構な苦痛だ。大袈裟にいうと、その姿を見せるだけで逃げられてしまう害虫にでもなったような気分(これはさすがに大袈裟か)

もしくは私の頭がちょっとおかしくなってるのかとすら考えたこともある。統合失調症とか、妄想とか、いくらでもこういう考えを引き起こす疾患はある。
だけど、これまでの人生で身に起きたこと、明らかにいじめられたことはないものの、人生のいろんな場面で、生きづらさ、孤独を抱えてきたことを考えると、単なる思い込みだけでは到底、説明できないと感じている。

なぜ、みんなそんなにキラキラ生きていられるんだろう。みんな、というと主語が大き過ぎるけれど、私の周りにいる人たちは、家族、親戚含めてみんな、順調な人生を歩んでいて、社交性もあって、だから彼らが集まる親戚の集いの場にいくのは、このうえなく苦痛だ。

私は親戚や家族のことを大切に思っているし、とくに家族に関してはかけがえない存在だと思っている。

けれど、心のどこからで、私は彼らに対して(特に集団になっているときに)苦手意識を抱いていることをここで告白する。
良い人、良い人だ、みんな。明るくて社交的で、一般常識もあって。

私はそう思う。けれど、たまに猛烈に感じる違和感はなんだろう。

持つもの、持っていないもの。

結婚している人、してない人。

医者である人、医者でない人。

交友関係が広い人、広くない人。

子供がいる人、いない人。

偏差値の高い学校に通ってる人、通ってない人

コミカルな人、真面目な人

社交的な人、内向的な人。

その時間、エネルギーの全ては、前者のために存在していて、そしてそれが正しい側であると信じて疑わない人。後者をやんわりと無視する人々。

私は、前者でいるときと、後者でいるときと両方経験しているから、その扱いの差をよく感じた。

いとこは、年齢の近い人たちがたくさんいて。私以外の人たちではフォローし合っているらしい。

ねぇ私もフォローしていい?って明るく聞けるメンタルは私にはないから、もう、姉妹から“〇〇のインスタでえー”といういとこの近況に関する会話を聞いても、もう何も思わなくなった。

今、なぜかアメリカの田舎で一人暮らしをしている自分。自分のもつ不安定な心や、嫌われがち、な自分に対する自己肯定感の低さは全然変わっていないけど(アメリカでも日本でもなにも変わらなかった、残念)、
日本にいるときのあの鬱陶しい、息苦しい、イライラさせる空気感からは距離をおけていることはとても良いことと思っている。

金銭的にも物資的にも、恵まれた家庭で育ったし、親戚もとても助けてくれて、本当に良い人。
だから、そんなことで今更ぐちぐち文句を言うな、って自分でも思う。

けれど、この心のシコリは多分一生消えないし、いつかは日本に帰って暮らしていくんだろうけど、どうだろう。なるべくそういう空気感を感じなくて済む距離感で住むしかないよな。

なんてことを考えている暗さが、よくないのかもしれないけど。

ああもうどうでもいい。ジャッジするのも勝手にしてくれ。ただ、みんなが私を嫌うように、私もあなたたちが嫌い。私はそのうち孤独になって、みんなから蔑まれて恥ずかしい存在って思われていくのかもしれないけど、でもそんなこともどうでもいい。

考えすぎだとわかってて、思うがままに支離滅裂な文章をつづりまくった、日曜の昼下がり。
以上。

名前のない小瓶
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ぼでぃさとば

文章を読んでとても頭のいい人なんだろうという印象を受けました。よくいろんなことを洞察できて素晴らしいと思います。最後に日本に住んでいないというところを読んで、納得しました。私も、どうしても自分を殺して集団に馴染むとか、その集団でヒエラキーの上にいる人に気に入られる言動をとるということが、自分の生き方に反していてできなくて、集団意識の強い日本では本当に生きづらかったので、言われてることよく分かります。結果、誰にでも平等に接して本当に人間性が好きな人にフォーカスしていくスタイルになっていますが、日本人だとそれを嫌う人もいますよね。もうしょうがないって諦めてます。私が一番しっくりきたスタイルは、他人は勝手に好いたり嫌ったりするけれど、自分自身との関係だけは大切にして自分に寄り添ってあげるようにしたことです。自分との関係が一番長く続くし一番大切だと思います。

ななしさん

文章を読んで、とても成熟してる方なのかなとお思いました。
でも考え方が成熟してるからといって、心まで大人で傷つかない、というわけではないですよね。
むしろ、成熟していらっしゃるからこそ、悲しい気持ちまでもどうにかきちんと心に納めようとされてるんだろうなと思いました。

わたしは、2割の方が主様を嫌いにならないと書かれているのを拝見し、それは真意だと思いました。
主様は、8割の人からやんわり距離をとられる、好かれない、とおっしゃっていましたが、わたし自身も本当に関係が築けているのは2割程度。10人ぐらいのグループにいたとしても、個人的に親密になれるのは1.2名しかいません。

でもあまり悲観的ではないのは、自分の方が相手をどう思うのか?を指標にしてるからかもしれません。相手にジャッジされて距離を取られたとしても、自分も別に親しくしなくてもいいやって感じの人だったら、交わらない人として距離をとります。
 
ヒエラルキー、と言う言葉出てきましたが、わたしの中にその感覚はありません。
 
あるのは、人としてのレベルだけだと思っています。例えば人をいじめたりするような人はわたしの感覚では相当人間力が低くあえてヒエラルキーという言葉を借りるなら、最下層だと思います。たとえ美人で金持ちでもです。

人を尊重し、自分のことも大切にできる、
そういう人は、例え貧乏でもヒエラルキーの高いところにいる、と感じます。 

わたしは、人間力としては最下層ではないけど、人格者とまでもいかない、まぁ真ん中くらい。もっと経験を積んで人として深みが出たら良いなと思ってますが、まだまだ未熟です。

主様は、相手にジャッジされ、ヒエラルキーの外側に追いやられるような感覚になるとの事でしが、とてももったいない認識だと思いました。ヒエラルキーのような階層にしがみついて生きてる人の中に紛れてほしくないなと思いました。

世の中、探そうと思えばいくらでも、
まったく違う世界線で生きている人がいます。
わたしもその1人です。

主様が見たいように世界を見て良いのです。
たくさん考えていらっしゃる事は間違っていません。

最後に、ぜひその深い思考と眼差しを大切にされてください。
居心地のよい人や場所は、必ずありますが、それが、世の中的ににココ!と示される場所とは違う、ということがたくさんあります。

ななしさん

それは生きづらいですよね。他のいとこ同士は仲がいいのに、小瓶さんだけはずれる、それぞれの親は何も言わない…。友達なら、親が友達関係にしゃしゃり出るほうがおかしいので、違和感になりませんが、いとこって親同士の血縁があるでしょう。
小瓶さんの親が言わなくても、いとこの親が、何か言いそうなものです。

一線を引いた関係になるには、確かになにかはあるんです。嫌いというより、深くかかわれないなあって、ちょっと距離を置く感じ。

たとえですが、刺青をこれみよがしに見えるところに入れている人とつきあえるかというと、個人としてはつきあえても、それまでの友達関係が崩れそうだから、人がいるところではちょっと距離置くってなりますよね。

一対一ならいいんだけど、友達同士の輪に入れづらい。
その人その人で違いますが、小瓶さんは裕福な家庭。私なんかは貧乏で育って、友達もお小遣いをあまりもらっていない子しか仲良くできないんです。だって遊びに行く場所、持っているもの、違うじゃないですか。
小瓶さんが悪いんじゃないし、私らの貧乏なのが悪いんでもないけど。

今まで置かれた環境が、周囲とは食い違いが発生していたのかもしれません。あるいは喋り方、人への接し方、どこに行っても、1人2人、その場に合わない人っています。

その場に合わないだけで、悪い人でもない、別の場所であったなら仲良くできるかもしれない。人との関係って、一対一になりません。

合わないから合う場所を探すもいいですし、どういう人であれば他の人は「合う」のかを模索するのでのいいです。私は一時期、人気取りみたいに笑顔や愛嬌でうわべの友達いっぱい作っても、どこか浮いてました。私が、その時の私を心のどこかで嫌っていたせいかも。

人との関係で、何を得たいのかによります。学生だと「友達がいる」ことが重大で、どんな友達かって気にしません。大人になれば、数より質になります。

お金があればあったで、私の親せきは多方面から声はかかるけど、それはお金を貸してくれ(返すあてはないけど)ってことなんです。そんな知り合いはいらないですよね。

途中で本心を打ち明ける人も存在しているようですし、周囲全員から好かれる人になりたいのでもないでしょう。新しい場所で、数名ぐらいの仲のいい人ができる自分でいたい、って私もそう思います。ぼっちは嫌ですから。

日本の嫌なところかもしれませんが、たいていの場所でヒエラルキーが作られています。上手に上の人と接している人と、仲良くできるならしてみてはどうでしょうか?
私はそういうのが苦手で、だったらボッチのがましだと思ったこともあります。
でもそうやって、すでにある関係に入る以上は、どうやって受け入れてもらえるか、何をすればいいのか、学ぶことになります。

私の失敗で、どこでもそうですが、好きなものを買ってきて、喜びそうなものをあげて、同性なのに貢ぐ存在になったこともあります。そういうのは最初にNG行為として、話す内容、誘い方、そういうものを周囲から学べば、もともとヒエラルキーには、それが入っているので違和感にならないんです。
アメリカの一部に私も詳しいですが、集団で動く人らは、自然にそれらをやってみせていました。

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