私は疲れると、そこから逃げたい逃げたいと、何かしてしまうことがあります。人には理解できないでしょうし、一部だけ見たら怒りっぽい人で関わりたくない人、となります。
私がどんな時にもう無理!になるか、わからないでいました。新人の頃も嫌味や皮肉を日々浴びせられましたが、年数を重ねると言われなくなりました。その時は言い返しても無駄、言い返すだけ不利になると言い返せない私でした。
人の気持ちをわからないでいいと思っている人、人を同等の立場として扱わない人、自分には関係がないと切り捨てる人、という人がとにかく無理なんだなと。
自覚はないのでしょう。私が出会った中で福祉関係の長が、なぜかそういう人でした。
単なる福祉事業の一人ならどうでもよかったんですが、長がそんなのでいいのかと心の底から今も憎んでいますし、その地位にいて欲しくありません。
こちらは転居して間もない、わけあり人物、相手は一応名前が知れた会長となれば、負けるのは私です。そこにいたくなかった、逃げたかったという気持ちもありますし、こんな地域の福祉をどうやって受けられるのかというのもありました。
人の生き方、考え方ですが、その人が嫌であっても、立場を尊重し、得られるものは得て個人的な接触をしないとか、とりあえず逃げるだけ逃げて、さっさと忘れるとか。
どの選択をしても、その人の自由です。
私はその長に、他の人にわかる形で抗議をして、その後さらに転居することになりました。福祉と言っても公的施設じゃなかったのですが、県の委託施設だらけの地域なので、半公務員扱い。表向きはそれらしいことを口にはしても、個人的に私に言ったすべてが本音なら、とてもその地域に住めない、辞職に追いやるほどの力や証拠もないなら、こっちが出ていけばいい、もともとそこにずっと住みたくないと言っていたので。
地域的に県庁所在地だったので、そこでの福祉の長というのがそこそこの立場だというのはわかります。でも福祉って、立場や地位が優先されるものなんですか?
違うんじゃないですか?
違うから違うでしょって言っちゃいけないの?
転居したばかりで市民じゃないとでもいうかのような扱い。
そういうことする福祉会そのものがおかしくないの?
って、それをズバズバ言えることに驚かれるんですが、普通に言えないものなんでしょうか。
正論は正義ではない。
この言葉をよく言われるんです。
でも銃をつきつけられても、首に刃物をあてられても、私は屈しないと思います。
ドラマなどでそうされて、友達裏切ったりする人らがわかるようでわからない。
そうやって偉いと言われる人にも堂々と意見を述べる気持ちの裏側に、権力に脅えて言えない人、気が弱くて言えない人、意見がない人、そういう人たちへの優越や見下しが入ってないか?
と自分の奥底を鑑みたりすると、けして人のことは言えないのかもしれません。
私はその福祉の長にも、自分を全然いい人間だと思っていない、だからこそ言えることがあるんだと言いました。人から好かれたい人は言いたいこと全部なんて言えない。何もなくしていい人は言える。
言えないまま死んでいく人もいる。そのぐらいなら言って言って言いまくってからにして欲しい。どうしてという思いが残された人全員につきまとって、自分のせいじゃないとそれぞれ思いたがって、脆い関係はさらに脆くなってしまう。
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ななしさん
ありがとうございます。
私の癖で長々と書いているので、飛ばされてしまったと思いますが、私には何もないのです。嫌われてもいいというか、嫌いになってくれる相手すらいないんじゃないのっていうぐらい。
それだから怖いものなしなんです。自分の体一つしかない、その命も体も大事に思えない。
手放せないものがあるというのは、非常に恵まれているんです。誰しも、もっと持っている人がいるのに、と言うけれど、持っていない人のことは考えない。
私は考えてもらえない部類の人間なんだな、それをいろんなところで受けてきて、そういう人間だからこそできることがあるなって思うようになりました。
今は冷静に分析して書いていますが、その時は憎しみ一色で、自分ができることの限度や、その中で効果のある攻撃方法ばかり考えていました。自分の保身を考えられない、考えたって、たいしたものを持ってない、命に代えても守りたいものなんてないんです。
あるならば保身に回ったり、そんな危険な状況になることもありません。
人は醜いですね かく言う私も醜くて矮小な人間です
そして守りたいと思うものがありますが、その守りたいものの為に自分の本意では無いことにも手を付けてしまう事もあります
それは自分自身であったり、家族であったり、組織であったりするのですが、年を経るごとに守りたいものが増えてしまっているのです
手放してしまえばいい、と言う考え方ももちろんあります しかし、私のような矮小な人間にとって、手放す事で発生するであろう混乱や軋轢は天秤に掛ければとても重く、重いからこそ手放せないんでしょう
それでも人は行きていきます
生きていく中で、守るものを見つけた時、人は強くなると同時に弱くもなってしまうものでもあります
たとえばあなたも仰っていた、銃を突きつけられて
その突きつけられた対象があなたではなく、あなたが命に変えても守りたいと願うものだとしたら、あなたはやはり屈しないのかな
とても難しい話ですが、私のような人間と、あなたのような人間が共存できる社会であって欲しいと思います
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