「こうできればよかったのに」とかいうのを後から考えられちゃう脳みそ持ってるから、だからきっと後悔だとか反省だとかそういうのが先に立って自分を貶めてしまうんだ。
もっと、よりよい結果を想像できる出来事があると「ダメだったな」ってなるんだ。
充分に善いことだったとしても、足りないところを考えられてしまう。
善ではあった。でも最善ではなかった。
良ではあった。でも最良ではなかった。
それはつまり自分の理想と程遠く、最悪のもので。
きっと、そういう人間もいるのでしょう?
そして「あーあしょうがない。だって自分はできた人間ではないのだから」と諦めたりするのでしょう?
あるいは向上心があるのでしょうか。
ヒーローになろうという気持ち。
「そうなりたい」だなんて思って行動なんか、わたしは絶対しないけど。無理だ、って諦めるほうを選ぶ。これは、悪いあきらめではないと考えたい。諦観を正しく使えたら……
またあれだ。己を肯定するために『ものは言いよう』の思考。
「つまり、引きニートのクズ」って言われたら、そりゃそうなんですけども。
「なんかいろいろ言ってるけどさ、結局のところ社会のゴミってことでしょ?」
そうですね。不出来な人間でございます。人間という肩書は烏滸がましいでしょうか。
本日はこんなところ。
拾ってくださりありがとうございました
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ななしさん
完璧主義っぽいなあと思いました。悪いことではないです。
私はまあまあの年齢ですが、今の10代20代、いやもっとでもそこまで考えてもないです。
「こうなったらいいな、だめだろうな」と思い、うまくいけばラッキー、ついてる、だめだったら、そうだと思っていたしどうでもいい。
考えることで傷つくのを避けるように見えるんですね。だって「自分の努力が足らなくて」「自分の能力が足らなくて」って思いたくない。
人のせいにもしたくない、宙ぶらりんのほうがいい。
私は名前のある小瓶さんと同じ、何かにつけては追及して考えてしまいます。どっちがいいということじゃなく、持ち味です。
考えていようが考えなかろうが、結果を受け入れるしかないのは全員ですからね。途中に人の見えない思考がそれぞれあったとしても、なんにも支障はありません。
でも、考えたその中身は、別の機会に生かせることもあったりで、自責しすぎずに、上手につきあってください。
ななしさん
後からあーすれば、こうすれば。自分も沢山あります。でもこっちの道を選ばなかったら、今の自分はないので、不正解と言われたらやっぱ違うような気がします。
あっちの道にいたら、お金で苦労する事はなかったのかもしれないけど、精神崩壊するのと天秤にかけたら例え無一文でも今が良かったと思います。
正直どっちに行っても地獄。そう考えたら結局今と変わらなかったのかも。生き方としては合ってるように思います。ただ金が全くないと辛いだけですね。全ての元凶は金。次にあるのが人間関係。
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