推しがテレビに出る。
推しが新曲をリリースする。
ライブをする。
友達と遊びにいく。
先輩、後輩とご飯に行く。
家族と旅行に行く。
大学に進学する。
全部、全部、キラキラして見えてた。
いつからか忘れたけど、義務感に変わった。
自分は推しが好きだから、見ないと。
自分はこの子と仲良くしないと学校で生きていけないから、遊ばないと。
みたいな感じになって、楽しみだ、なんて気持ちがなくなった。
明日も生きてるなんて考えたくもない。
死んでたい。ずっと目を覚さないでいたい。
でも、夜は死ななきゃが襲って怖い。
朝になってまだ生きてるのかと落胆するのも怖い。
いつまで、いつまで続くんだろ。
いつになったら、死にたい、死ななきゃは襲ってこなくなる?
一生なのかな。
もう、無理だ。
今日、駅に入ってくる電車に吸い込まれそうだった。
あと、数メートル。
もうちょっとだ。もうちょっと。
数メートル足を動かせば、死ねる。
隣に友達がいなかったら、死んでた。
死ねたのに。
単語帳開いてる友達を見て、ダメだって思った。
自分が死んだらもう関係ないし。
所詮他人だから、助けてくれない。
わかってんのになあ。
期待してるのかな。
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ななしさん
まずは光風さんをひき止めてくれたお友達に感謝したいです。
やっぱり、いなくなられたら寂しいですからね…。
楽しみがいつしか義務感に変わってしまって、何だか身動きがとれないような気持ちになること、私にもあるかもしれません。
たとえば好きで登録したYouTubeチャンネルや、好きな作家の新刊本。
ファンなんだから絶対見なきゃ、読まなきゃっていう責任感が、純粋な楽しみを塗り潰してしまうんですよね。
ここで追うのを止めたら作者への裏切りになるんじゃないか、みたいな強迫観念まで出てきて、挙げ句、もう動画上げないで!本を書かないで!とまで思ってしまう。
困ったものです…。
でも一方で、一度義務感になっていたことが、再び楽しみに変わることもすくなくないんですよね。
やっぱ面白いじゃん!って再確認。
そういうこと、光風さんにはありませんか?
「死ななきゃ」も「死んだらダメだ」も、どちらも義務感なんですよね。
そういう義務感に縛られて生きるのは本当にしんどいと思います。
もっと自由に生きられたらいいんですけどね。
考えてみると『義務感』で行動してることって結構あるなぁ…と思いました。
確かに楽しみだなぁ…という感覚はないね…
(光風さんが感じてる感覚とは違うのかもしれないけど…)
『死にたい』『死ななきゃ』に襲われる感覚もいつの間にか消えてくれるといいのにね…
小瓶は怖くなった時に書いてるのかな?
小瓶を流すことで少しは怖くなくなる?
小瓶を読んでると心配になるけど、光風さんは必死に耐えてるんだなぁ…と思うと応援したくなる。
たぶん周りの人たちも光風さんの本当の気持ちを知ったら応援したくなると思うよ。
(知ることはないのかもしれないけど…)
小瓶が流れてくるのを待ってるね。
きっと…大丈夫…だよ。
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