ただ、つらつらと書いたものなので文章がおかしいかもしれません。
なにをやっても凡人かそれ以下。
なにも取り柄がない。
なにをやっても中途半端。
「そのものに努力できるのが才能」
「苦なく続けられるものが才能」
確かにそうだろうと思う。
その言葉のとおりなら私には何ひとつ才能がないことになる。
昔は絵を描いたり、ゲームとかギターとか、いろいろやっていた。
すごく楽しかった。
苦しくなかった。
そこそこ努力していたと思う。
上手くなっていくのが楽しくて嬉しくて仕方なかった。
でも最近はそう思えなくなった。
なぜかわからないけど、努力ができなくなってしまった。
楽しさを感じなくなってしまった。
むしろ苦しくなることもある。
どうせ頑張っても凡人かそれくらいだと、そう思うようになってしまった。
私が上手くなったところで意味はないと思うようになった。
私よりも上手な人はたくさんいて、その人たちはそれ相応の努力をしているんだろう。
正直、羨ましいと思ってしまう。
上手いのはその人が頑張った結果だから、羨ましいとかそういうふうに思うのは失礼だと思うけど、どうしてもそう思ってしまう。
私もそれくらい努力できる人間だったのなら。
頑張れる人間だったのなら。
上手くなる過程を楽しめる人間だったのなら。
よかったのにな。
悲しい、悔しい。
昔は楽しかったのに。
なんでなにもできなくなっちゃったんだろう。
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ななしさん
その感じ、わかるかもしれません…
かなり昔ですが、私も絵を描いたりギター弾いたりしていたんです。
やり始めた頃は無性に楽しくて、寝るのも惜しいくらいに没頭していましたね。
思った通りの絵が描けたり、弾ける曲が増えたりするのは純粋に嬉しいし、「上手いね!」って言われるとモチベも上がってさらに頑張る、みたいな。
でも、ある時ふっと冷めてしまうんですよね。
自分より上手い人なんてたくさんいるし、同い年以下なのにプロで活躍してる人だっている。
それに比べれば自分なんか…って気持ちが萎えて、練習から遠ざかってしまったんです。
それでも、楽しむ過程で得たものって少なからずあると思うんですよね。
たとえば何か曲を聴いていて、「このギターのフレーズかっこいいな」「自分だったらこうするな」とか、絵を見ていて「しれっと超絶技巧使ってるなー」「陰影のつけかた変じゃない?」とか、そういう細かい目のつけどころ、感性みたいなもの。
そういう着眼点は、実際にやったことがある人ならではだと思うんです。
何事もとことん極められればすごいですけど、「中途半端」もそこまで悲観すべきものではないのかもしれません。
絵とギター両方が「そこそこ」わかる・できる人ってけっこう希少価値高いと思いませんか?
なんなら、「ギターをかっこよく弾いてるイラスト」とか、「ギタリストが主人公の漫画」とか、合わせ技一本みたいな感じで創作に生かせるかもしれませんよ。
私には、小瓶主さんが努力できない人だとは思えないんですよね。
頑張ったからこそ、絵もゲームもギターもそれなりに上達したわけで。
むしろ「面白い!」って思ったら楽しんで頑張れる才能をもった人のような気がします。
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