わたし、他人への警戒心が強い方なんだと思う
だから実際に人ときちんと関わると想定より良くて、それだけで相手はすごく良い人なんだと勘違いする
そして盲信する、相手に何をされても徹底的にその人を正当化する
本物の良い人は大抵この辺りで離れてく
一般的に人は熱量の差に耐えられないからね
別に良い人じゃなかった人だけがそれを受け入れる
でもわたしだってその人の本性くらいとっくに気付いてる
気付いても拒絶できない
拒絶するほどの器なんて持っていない
拒めないから余計に人への警戒心が強くなる
負のスパイラル
だから一度深く関わってしまったらもう終わりだって認識してる
でもそれでは寂しさに抗えない時がある
昔はこんな変な関係の築き方してなかったから古くからの友人とはちゃんとやっていけてると思いたい
ただもう環境が変わってしまったので、新たに関係性を築く必要がありそうだ
盲信するのも相手を悪だと決めてかかるのも終わりにしないとな
分かってはいるのだけれど、真っ当に戻れるのかな
わたしの良くないところ、自分のこと全部ぶちまけちゃうところ
それさえやめられれば、盲信していてもまだましになれる気がする
ああでも、そもそもぶちまけたら終わるような本音なんか昔は持っていなかったな
ただそれだけの差だった?
いや、昔は周りが良い人だらけだったのかもしれない
うーん思い返すとそうでもないよな
人の悪意に鈍感でいたから?
そうかも
誰かが怖くなった時点で全部だめだったのかしら、耐性がなさすぎたから
イレギュラーは自分の方だって思いたかったんだなあの時は
ただタイミングと相性が悪かっただけなのに、どっちが悪いとかないのに
そう思うことで傷をえぐっているのだろうかわたしは
なぜ弱いのにその上弱さを受け入れてもらいたがる?
全部肯定してよ、そんな真似されたくないけど
意味なく全否定された方が楽だ、傷つけられたって被害者でいた方が余程ましだ
だから人を傷つける前に良い人には離れてほしいと無意識に思っているのか?
今のわたしに価値はないから、良い人とはつりあいようがないから遠ざけたいのかもしれない
でもどうだ?
弱くて醜い部分を過度に盛って曝け出して一線を引いてもらって、
これはやはり受け入れられたいのか?
分かんないな、肯定されたいのか否定されたいのかどっちなんだろう
普通に固執していた頃は幼かったと思うけれども真っ当にはなりたい
こういうことを考えていると治りきった傷が痛む
これが人付き合いに直結しているからつい頭がおかしいような行動をとってしまうのか?
ついでに痛みにも多分弱い
じゃなきゃ昔のリスカ跡がずっと痛いんです、なんて素面で言えるわけないじゃない
しかし微妙な痛さだな
でも精神面だって全部こんな感じ、中途半端に傷ついた経験を手放せない
全部傍から見れば大したことはなくて他人に訴えるほどでもないのにずっと持続しているからなんだか気が狂いそうになる
それを手放したらわたしの現状に説明がつけられなくなるようで怖いだけなのに
手放せば多分、楽になれる
何となく分かっている
手放した瞬間にわたしの停滞はただの怠惰のせいになるのが怖い
実際多分そうなんだから、楽な方に流れるなよこれ以上
だってわたし、それが一番嫌だったのに
言い訳だけして動かないことを最も忌避していたはずなのに
なんで?
一回傷ついたら終わりだなんてそんなことにしたいわけないじゃん
正解が分かるようになったなら、それを選び取れる余裕が再び持てたのなら行動なさいな
そうやって分からない振りをするから本当に分からなくなってしまってることがあるのかもしれないし
ちゃんと全部分かりたい