負の遺産を原動力にするという事は、即ちその経験を是とし、糧にするという事。
耐え難い経験をした人程、この価値観に嫌悪感を抱くのではなかろうか。
何が悲しくて傷を付けた張本人の背中を追わなければならないのかと。
その努力に価値を見出すことはできない。
この根本に気が付かないまま行動させたところで心を閉ざしていくのは当然だし、「努力ができない」と揶揄されるのも当然だ。
向いてる方向が違うなら互いにとってそっちは前じゃない。
「見返す」という事は、仮に結果が出たとしても対象はまだそこにいるという事。
心中穏やかではなかろう。
被害者にしてみれば綺麗さっぱり忘却できるなら結果なんてどうでもいいのだ。
何よりも気に入らないのは加害者の功績になりかねない事だろう。
自分の努力の結果を加害者の言い訳に使われる事の何と胸糞悪い事か。
「あの頃があったから今がある」という言葉は被害者にしか発言する権利はない。
その辺の人間的な汚さに触れていれば触れている程「何もしない」事を美徳と考えてしまうのは、果たして「甘え、我儘」と一括りに考えて良いものなのか、他人が下すにはあまりに傲慢なジャッジだと思っている。
誰も助けてくれないと知っている人間は開き直ったりしない。
誰も自分に関心が無い事を知っている人間は無駄に虚栄を張ったりしない。
誰も自分が好きではないと知っている人間は他人に依存したりしない。
自意識過剰って呼ばれる人達は、同じ様に他人にも過剰に意識を向けてるって事。
向けられてる意識にしか関心の無い人間には所詮理解できない心情なんだよ。
人の恩恵を受けている人程、人をぞんざいに扱う。
そんなもんだ。
人の目なんて生きる上で最も無駄な価値観だよ。
他人のテリトリーを侵さなければそれでいい。
追わなくていい。
追われなくていい。
見返さなくていい。
見なくていい。
忘れていい。
なりたい自分を見ていればいい。
人に求めなければそれでいい。
人に攻撃しないと自分の整合性も取れないポンコツは視界から消せ。
後は輿論が決める。
無駄な事にリソースを割くな。
次行け、次。
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ななしさん
サッカーの元日本代表の監督、イビチャ・オシム氏の言葉を彷彿とさせます。
「私は紛争を体験して強くなった。だが強くなったのは紛争のおかげではない。自分(の努力)によるものだ」。
他人の目を大なり小なり気にしながら生きる人は、誰かに親切にする時に見返りを求めがちです。
相手に喜ばれたい、感謝されたいなどなど。
喜んだり感謝したりするかどうかは、相手が決めることです。
某ボランティア団体のキャッチコピーに、「ありがとうの言葉が聞きたくて」とありました。
ぞっとしました。
おぞましいほどの欲深さです。
人を攻撃したり、あからさまに見下したりする人間は、まだ人間に進化し切れていない猿人と見做しています。
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