べつのところに行ったら、べつの楽しみ/苦しみがある。
だから慣れた楽しみ/苦しみを維持しつづけてしまう。
チャレンジ精神がない。どうして手に入れたくないんだろう?
他の楽しみを。他の苦しみを。新しい、慣れない衝撃に耐えられないと思ってしまうんだろう?なんでとっても重いものに感じてしまうんだろう?
恐怖……
手前の段階で怖気付いてしまう。新たな幸せを、辛さを、求めにいけない。
小さい頃にあきらめてしまったせいだろうか。
それとも生まれつきそういう性質だったら?
ぼくはなにを治療すればいいの?
直るものなの?
これは、わたし個人が頑張らなきゃいけないこと?
わからない。
生きようとすれば苦しくなる。
死んでいたい。楽なままでいたい。
放っておけば、今自分が忌み嫌う新たな苦しみが逃げられない速度でやってきて捕まるって?
それは、その時考えるのではダメなのか。
わかんない。
だからって、教えられたことはたぶんできない。
何をしたらいいのかずっと考えてる。
何もする気がないのに。
こんなの流して、また心配かけるんだろうな……(大丈夫。心配しない人もいる)
それで、「鬱陶しい」と思う心と「ありがとう」と思う心といろいろ混ざり合ってまたぐちゃぐちゃして……
お互い心がかき乱されても、「それでもいい」として付き合ってくれる人はどれくらいいるのか。
わがままで、甘えんぼで、「しょうがないな」って付き合ってくれる大人な方たちに支えられる、どうしようもない情けない人間だ。
対等なんかじゃ決してない。
ボクは人を見下げるか見上げるかしてしまう。
利用価値のある駒としか見てないかもしれない。
それに気付かない哀れな者を、優しい者を、壊してしまう最低な人間だ。
違うか……そんなに弱くないか。
だめだな。また下に見てる。そうすると今度は上にしてしまう。
誰かの隣に立つふりをして、実際そこにいない裏切り者だ。
信じたほうが悪いのか。信じさせたワタシが悪いのか。
なんか荒れてるね。
どうしてだろう?
そういうときもある。
これはずっとこのままかもしれないし、戻るかもしれない。そもそもなにも変わっていないという可能性は?
私はどうして今そう考えた?そう思った?そう感じているのは何故?
頭の中にある理由を否定したいのは、誰かのせいにしたくないからだ。何かのせいにしたくないからだ。
通常運転でありたいのは、異常を恐れているからだ。
はじめの話に、なんだか戻っているような……
何回も経験しているようで、それでも慣れないそれは、「生きてる」っていう何よりの証明で。
わたしが、1番嫌いなやつ。
まとまった。
今回はこれでいいな。
おしまい