ねこさん、こんにちは。
以前も、お伝えしましたが、
ねこさんの小瓶
わたしは、好きです。
ねこさんの、だいじな、思いの詰まった小瓶。
何度も、読み返して、力をもらってます。
気持ち悪くないって、言ってくれたから、お伝えしますが、苦しくなったとき、ねこさんの、みんなに寄り添おうと、してくれてる、小瓶を読むんです。痛いほど、心を砕いて、そばにいてくれる。勝手に、わたしは、そこに、じぶんの苦しさを、わけて、預けて。
結構ね、助けられてるんです。
拠り所に、なっています。
そういう人、結構ね、いるんじゃないかな。
ねこさんのことが、好きな人、力をもらった人
ねこさんの言う、「身勝手」「自己中」に、
ふっと軽くしてもらえて、
ちょっと救われた人たち。、
確かに、傷つけたり、届かなかったり、すれ違ったり、から回ったり、そういうことが、あるけど、、
でも、それは、言葉を届けてみなければ、わからない、ことだから。
同じ言葉でも、ニュアンスや響き方が人によって、違っていたり、するよね。それが、毒になる人も、薬になる人も、いて。どう受け取るかは、その人の価値観、置かれてる状況によるし、、
でも、やっぱり、届くものも、
ちゃんと、あると思うから。
言わないと、届かない。。
ねこさんの言葉で、結果、意図せず、傷つけてしまったとしても、それは、誰が悪いとか、そういうことでは、ないんじゃないかな。
その方が、歩いてきた人生の中で、いろんなことが
複雑に絡まって、重なっていて。
だから、仕方なかった、
どうしようもないことが、
あるんだと、思います。
人間だから、全部が全部、正解を、選べるなんてことはないし、正しいことをして、後悔することも、あるかもしれない。
言葉をかけることが、怖くなって、声をかけなかった。それで、後悔することもあるし。
言葉をかけて、傷つけて、それで、後悔することもある。
どれが、正解、ということは、わからなくて。
それでも、ぜんぶ、ねこさんの、経験、になって、いて。ねこさんを、つくってく、だいじな、要素に、なってくんじゃないかな。
繋がっていくんじゃないかな。
離れられたら、さみしいです。
ねこさんの綺麗事が、これからも、よみたいです。
ねこさんの、決意で、離れるなら、それは、さみしくてもしかたないなと思いますが、、
誰かのために、離れたいって、ここにはいられないのに、って、思ったのかな。それで、ここにいることに、後ろめたさが、あるのかな。
わたしは、いてほしいな。
でも、疲れちゃったら、離れたりしてもいいと思う。そんで、戻ってきたくなったら、戻ってきてさ。
ここは、海だから。
ぷかぷか、ゆらゆら、して、
たまには、
深〜くまで潜ってみてもいいし、
少し離れて、
砂浜から眺めるだけでもいい。
ふらっと出かけて、ふらっと戻ってきて、ふらっと出かけて。、
自由で、気楽で、いいと思います。
傷つけて、傷つけられて、
はじめて気付く痛みがあってね、
そのときに感じた痛みや思いを、
自分のものにして、はじめて、わかるの。
それは、経験しないに越したことないけど、経験しなきゃ、わからなかったことで。
たくさん悩んだからこそ、ねこさんみたいに、想いを言葉にして、それで、一人でも、二人でも、こころにちゃんと届いたら、それって素敵なこと、なんじゃないかな。
経験しなきゃ、あっためられなかった、かも、しれない。
そうやって、何度も悩みながら、折り合いをつけて、選んで、いきてくんじゃないかな。
できることをしようって、強くなりたいって、守れるようになりたいって、笑えるように、安心して過ごせるように、してあげたいって、誰かと、みんなと、生きていきたいって、そういう祈りに、願いに、変わってくんじゃないかな。
だから、傷つけることも傷つくことも、ほんとは、だめなことじゃないと思います。、
歯がゆかったり、虚しかったり、するかもしれないけど、
後悔も、たくさん、あるのかもしれないけど、
ねこさんの、「自己中」な小瓶は、
わたしを、あっためてくれたよ
出会ってくれて、ありがとう