何もない。
何もできない。
なんて考えて落ち込んでたけど。
私には意思表示には困らない人並みの語弊力がある。そしてそれを紡いで言葉にする力もある。
口がある。声帯だって正常に機能してるし、食べ物を噛み砕き、飲み込むことにも苦労しない。
さらに、笑うことができて、泣くことができる。怒ることもできれば、無表情にもなれる。表情筋も思いのままだ。
首はあちこち自由な方向に向けられて、目は向いた方向にあるものの形、色、奥行きなんかを全て認識することができる。
目を閉じていても、鼻孔に香りが届けば食べ物や花があることを認識できたりもする。
耳で様々な音を聞き分けることができ、またその音に、綺麗や、騒がしいなど、様々な感想をつける発想力にも困っていない。
手は、指先まで自由に操れて、物を掴んだり離したりすることができる。だから文字を書き記したり、時には絵だってかく。
腕だってまわせる。
もちろん足も、足先まで全て骨が通り、それを動かす筋肉もあり、自分の意のままに動かせられるよ。
最近、これらに気付いた。
こんなにも、挙げればキリがない程、私にはできることがたくさんあったんだな、って。
当たり前のように今も携帯をさわって文字を打つことをしているけれど、それは指があるからだ。書こうとする文字を難なく浮かべられるからこそだ。加えて、携帯の使用法に戸惑いが起きることも少ないから、すらすらと指がすすむ。
当たり前に電車に乗って。
改札を通って学校行って。
家に帰って夕飯たべて。
当たり前に起きて。
当たり前のように学校に行き。
改札を通って。
また電車に乗り込む。
こんなクズの塊みたいな根暗なデブスにも家族がいて、帰る家があり、空腹を満たすための食事を用意できる。
なんてもったいないのだろう。なんてありがたいのだろう。
それから、これらのことがままならない人のサポートも私には可能らしい。
気付かせてくれたのは、こどもたち。
元気であかるくて、かわいくて、素直なみんな。
ダウン症、自閉症、発達障害、脳性マヒなど、障害とよばれるものを生まれもったこどもたちを通じて、自分の両親の愛を再認識することができた。
障害者と向き合うっていうのは大変なことの方が多いけど、でも、だからこそ感じる幸せは大きいとおもう。
その人たちの笑顔は、誰にも真似できない、健常者にはないパワーがある。
一緒に過ごすことで、自分にないもの、あるものを、気付かせてくれる。
その子たちを助けよう、なんて大それた思いは一つもないけど、もし支援への助けが少しでもできるのならこれからも続けていきたい。
その子たちのご両親のあったかいことといったら、もう、やばい。でもその優しい笑顔の後ろにはたくさんの苦労があったのも、忘れてはいけないんだなって思う。
私の自殺願望を吹き飛ばしてくれた。誰かに優しくされなくても、たくさんの人に大切におもわれているこどもの笑顔をみただけで、こんなにも大きな心変わりができるなんて、びっくりだ。
必要とされた訳じゃない。ただ、遊んだり自由に動き回っている姿をみてただけ。
喧嘩したり、仲直りしたり、拗ねたり、機嫌がよかったり、ふつうの光景を眺めてただけなのに。
それだけでこんなにも元気とパワーと、感謝がもらえた私は、きっとこどもたちに負けないくらい特別な幸せ者だ。
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ななしさん
生きている人を見ているだけで
自分自身の生を再確認出来た。
素晴らしいことだな~と思います。
(目覚めの準備が内側にあった方なのかも?)
見返りちょうだいなさん、ではない主さん。
私は、なんとなく、そんな主さんの生き方を見て
また、別の人が同じように励まされて、
我が身を見つめてみようかな、って人の連鎖が起こること、
無きにしもあらずだと思います。
人の心の窓が、ぱか~ッと開いた話が聞けるのって
ほんとうにうれしいです。
私は私で、ぼちぼちがんばるぞ!(別件だから)
まいたん
ななしさん
ちょっと感動した
ななしさん
なんかいいですね~。
何がいいかって聞かれると分からないけど、なんかいいです。
わたしはそう感じられました
ありがとう。
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