なぜ私は人を信じられないのか。
私は家族を除き他人を信用できない。
なんなら家族にもたまに湧き出る負の思考を伝えない。
とにかく自分ひとりで処理しようとする。
責任感があるとか使命感があるとか積極的な理由ではないだろう。
私が物事を決める時は極一部の僅かな例を除いて消極的な理由だ(消極的な理由で積極的に動くことすらある)。
恐らく、「誰にも任せたり、相談したりできない」と思い込んでるからだろう。
実際は頼るべき存在は多い。
先生、親、友人…
そのどれもが対象外と見ている。
相談する事柄がないわけでもない。
進路のこと、学習のこと、肉体の病気のこと。
これらは速やかに相談し、任せられる部分は任せている。
精神の苦しみを相談する人はいない。
過去に苦しんだ事例を言うことはあっても、今苦しいとは言わない。
ここまで私に不信感を植え付けたのは、いじめともいえないような小さな出来事だと私は考えている。
小学5年生の冬、私は久々に外に出、ドッチボールに参加しようとした。
しかし「参加するな」と遠回しに言われ、私は深く傷ついた。その日のうちに先生に相談し、謝罪を求めるも相手から返ってきた言葉は「ごめんなさい(棒)」。
たったこれだけである。
よくある話だ。
遊びに参加させたくないから参加しないでくれと伝える、至極真っ当である。
そりゃ、ずっと引きこもってるやつをチームに入れたら負けるに決まっている。
どっちのチームからも要らないと言われ、もうじゃあ参加するなとなった。
こんなことで私は不信感を抱く。
不信感に追撃をいれる出来事は他にもあったが、私の不信が始まったのはこの出来事であろう。
なにせ、それまで絵を描くのが好きな明るい子どもであったから。
この後、友人に助けを求めるも無視されたり、人脈の力で意見が消滅したり、気付いた時には周囲350°敵だったりしたことで私の不信感は確実なものとなった。
以来、友人とは心の表層でしか話せない。