苦しむ人々と共に苦しみを負うことが本当の愛であると、誰かが言った。
自分の犠牲を顧みることなく人に尽くせよと、誰かが言った。
わたしに他人のために自分を犠牲にして助ける覚悟なんてない。
困ってる人は自分にリスクがない範囲にしか助けない。わたしは愚かなのだ。
世の中にはそう言った聖人のような思考・行動ができる人がいる。
それは分かっているが、私含めそんな人見たことがないし、彼らがどう思って行動に移しているのか、どこからその勇気が出るのか理解できない。
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小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください
ななしさん
うちの知り合いもそうだけど、自分のことより人のことなら何馬力も力が出るタイプの人がいるから、そういう人がとんでもない人助けができるタイプやと思うわ。
なんかこう、体が勝手に動いてしまうというか。私は、友達が理不尽な目にあったことを知って、いても立ってもいられなくて文句を言いにいってしまったことがあって。その時無意識に足が動いてたから、そういうタイプのレベル100が聖人なんじゃねぇかと思っている。私は無理。だるい。友達家族パートナー以外はどうでもええ。
千歳飴@雨
見返りを求めない人助けとか自己犠牲は確かにすごい。
けどそうしないことが悪ってわけじゃない。
聖人じゃなくても、リスクを負わない範囲であっても、結果的に誰かを助けてるならそれでいいと思う。
yuki.
食べ物に好き嫌いがあるように
自分を顧みずに行動できる人がいて、その人達に取ってはそれが普通なのだろうと思います。
自分が好きな食べ物を全ての人が好きではない。
例えば私は魚のハラワタは苦くて好きではないけど、その苦さが好きな人もいる。
『人を助けるのに理由がいるかい?』
と聞かれて、理由が必要と言う人もいれば理由などなくて助けるのが当然と言う人、自分が助けたいと思ったから助けると言う人もいるでしょう。
自分を顧みず助けられる人もいれば、自分がリスクを負わない範囲でしか助けられない人もいます。
私も後者です。
でも言い換えれば『自分がリスクを負わない範囲でならば他人を助けられる』とも言えるのではないですか?
別に見捨てても良いのに。
ノーリスクだから出し得だと思って助けたのだとしても、助けられた人にとってはありがたい。
私は気まぐれの出し得で助けられたとしても、それが自分にとって救いであれば喜んで感謝します。
…言い換えれば『結果がすべて』とも言えてしまいますけどね。
ななしさん
そんな聖人に出会ったことがあります。
その人に
いっぺんには出来ないからこそ
少しずつ慣らしていくうちに、
段々とできることが増えていく
…そう教えてもらいました。
自分もそうなりたいな…と思いつつ生きています。
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