フォローってもともとどういう意図で作られたのか……
気になる人の投稿をチェックしやすく、より楽に、便利に~的な感じ?
今だと相互フォローで、互いに好意寄せ合ってます!みたいな感じがあったりさ。機能も使い方や人次第で変化するっていうか、面白いですね。
人気度っていうか、
フォロワー数がひとつアピールポイントだったり?
上手く扱えなくて振り回されたり。
上手に使って利点にしたり。
メリットにもデメリットにも、ポジティブにもネガティブにもなりうる……このフォローフォロワーっていうのは実はかなり深いテーマなのでは?
最初はただの便利機能だったものが、時代の変化で利便性だけではないものを獲得した……そういった『なにか』を調べるのも面白そうだな。
世の中は不思議がいっぱい!
ぼくは大学とか行ってないし、論文など書こうと思ったこともないが、こういうのを研究して書くのだとしたら、大変だけどやりがいあるし楽しいのかもね。
私としては、論文じゃなくて小学生の自由研究くらいのほうがいいかな……
どちらにせよやらないけど。
アイデアは出すけど実行はしない人間。
小学生の夏休みの宿題さ、絵描くやつ、アイデアだけ出して絵がうまい家族に下書き描いてもらったんだよね(色は自分で塗りました)。
あとその絵のエピソードでさ、友達にその宿題「やった?」って聞かれたときやってないのに「やった」って言って「どんなの?」って聞かれて「こんな感じ」って……構想だけはすぐ思い付いてたというか。
あ、ぼく優等生でいたい人だったからさっきみたいな嘘はよくついてた。それが限界来た結果不登校になった。わたしはそういう人です。
昔良い風に見られたくて頑張った反動かな……今は悪い子に見られたくてしょうがない。
優しくもないし、賢くもないし、なんにも良いとこなんてなくていいの。
期待されるのが怖い。頼られるのが怖い。関わられるのが怖い。
失望させてしまうもの。悲しませてしまうもの。
昔から、他人のそういう感情が大嫌いなんです。
たとえ、ぼくのせいじゃなくても。
誰かのがっかりした表情が苦手。誰かの呆れたような表情が苦手。
いつしか人の顔を見たくなくなったし、自分の存在を見られるのも嫌になった。
小学生低学年の頃までは、人の顔をしっかり見て話を聴ける子だったのに。
でも顔は見れずとも、話をしっかり聴くのは変わってないかな。聴くだけなら好きだから。
だから、授業聴くだけでよかったなら、学校行ったんだけどなあ。いつだってそれ以上求められるし、みんなそれ以上のことやってるから、「あの子だけずるい!」ってなっちゃうよね。難しいなあ。
もっと、ひとりひとりに寄り添ってくれる学校なら通えたのかな……
今となってはもうどうでもいいや。
この経験活かせそうではあるんだけどね。
さっき言ったように、実行しない人間だから。
私なら寄り添える?
残念。やる気がない。
たとえば能力や才能があっても、活動する力がなきゃ宝の持ち腐れ。ま、ここでこうして文を書くことでなんとか腐らずにいられてたら……いいな。って感じか。
私の紡ぐ言葉がすべてもう何の役にも立たないゴミクズである可能性も忘れずにいよう。
こいつまじすぐ調子のるから。自分が無能であるのわかってないから。貶めとかないと。
たぶん優しい人が上げてくれるから、バランス調整。
逆に下げられたら自分で上げるんで。大丈夫っす。
はい、じゃあ長話聴いてくださってありがとうございました。お疲れ様です。
また今度
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ななしさん
フォロー、フォロワー機能は本当に必要だったのでしょうか...
この機能による問題も起きていましたし、何月中には改修すると運営さんは言っておられましたが改修はされないままです
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