毎日毎日 怠くて、死にたくて……
生きるのつらくて……
ここには仲間がたくさんいるけど、
そんな現状も苦しくて嫌になってやっぱり死にたくて。
すべてを「死にたい」に帰結させるくらいには死にたい人です。
皆が幸せなら、この世界は幸せだって誤認して、もう少し生きたくなるかもしれない。……そう思ったって現実はそうじゃない。単純な幸福を享受するだけで満足するほど人間という生き物は単純じゃない。
ゆえにどうあがいたってめんどくさくて嫌になる。
そして最終的に死にたいのだ。ま、事実最終的に死ねるのだから、なんの問題もないのだけれど。
問題があるとすれば死ぬまでの間耐え忍ばなければならないことか……
最近宛メのお知らせで管理人さんが、『誰にも言えない辛い思いを吐き出してもらいたいと思って宛メを作った』という文章綴っててちょっと「ハッ」とした。
ここでの皆の辛さに巻き込まれて、自分の辛さを少し見失ってた気がする。仲間を助けられない苦しみは、本来ぼくには無かったものでは?
誰かのために言葉を紡ぐ、努力するぼくは生まれなくて……それが生まれていないからその過程で起きる痛みも存在していなかったのでは?
なんだか1回リセットしようと思った。
ひとりぼっちな気でいたけど、案外みんなをステージに勝手に上げていたのかもしれない。本物のみんなというよりは、私が作り上げた偽物のみんなを。
本気で独りになってみようか。
おれだけがこの世界にいて、ぼくだけが死にたくて、
わたしだけが苦しい……
そんな本当に独りぼっちの空間に、たまには居座ってみようか。
図々しく、「なんて可哀想なわたし!誰にも助けてもらえない悲劇のヒロイン!嗚呼、いたい、つらい、くるしい……(涙)」と。つい比較してしまう他者の存在を、つい助けたくなる他者の存在を、無視した舞台で叫ぼうか。
手足がなくなればいいと思った。
そうすれば動かなくてもよくなる気がしてるから。
期待されることがなくなるんじゃないかと考えるから。
実際には、四肢が無くなろうと、それでもあたりまえに、普通に、生きることを強制される世の中なのかもしれない。
手足が無くなったくらいでは死なせてもらえないのなら、動かないことを許してもらえないのなら、どう成ればいい?どう在ればいい?
……あれ?おかしいな、また『架空のみんな』を舞台に上げてる。
でもそういうことなのかな。
世界に1人きりじゃないゆえの悩みや苦しみも、とっても大きいのかもしれないね。
内界の生きづらさも、外界の生きづらさもどっちも大切で、時にどちらか(あるいはどちらも)、一旦置くことはあれど、無視したり捨てたりするのは、なんか違うかも。(あくまで今現在の私個人の感覚)
ところでさっき内界と外界を調べたんだけど、心理学方面の言葉で存在してるらしい。
なんかやっぱ、もうすでに先行かれてる(越されてる)感じすごいな……
詳しく調べてないからさっき私が自分のイメージで使った『内界』『外界』と心理学のそれが一致しているかはわからないけど、遠くはないような気がする。
すでに先人が辿り着いていると思いながらも、自分ひとりの力で行きたがりなんだよね~ だから、哲学とか心理学とか興味ありながらも、あんまし其の手の本とか読まないの。ネタバレくらわないようにする感じ? 独学……とも違うよね、たぶん。
話ずれたし疲れたからもういいや。
このあたりでおしまい。
じゃあ次の小瓶まで、バイバイ(- . -)ノシ
ありがとうございました
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ななしさん
哲学とか心理学、興味あるなら一度しっかり、勉強してみるといいと思うんだけどなあ。
おもしろいよ!気付きがたくさんあると思う。
ネタバレしたくないのもなんとな~くわかる気がするけど、ブーストかけるつもりで、ひと通り勉強して、その先を目指せばいいんじゃない?
君、きっと好きだと思うよ!
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