長い間、自分のことが嫌いで嫌いで仕方ありませんでした。少し許せたり、また致命的なまでに嫌いになったりを何度も繰り返しながら、今日まで死なないままでいました。
何とか自分で自分を肯定してみようと思って、長所をあげてみても「そのくらいみんな出来る」「自分よりできる人がいる」という言葉が過ぎってしまいます。そこにはおそらく、自分への嘲笑なんかも入っています。
「ほら見ろ、お前には価値がない。だからお前の全てを他人に捧げろ」と言って苦しめることで満足している節があるのでしょうね。私の中の私は、自分は他人のための駒だと思っています。一人でも多くの他人にとって最上の価値のあるものであり続けることが、私の存在意義だと思っています。その為ならば、私自身に自由や充実や喜びなどは一切必要ないので、それを求めると怒られてしまいます。
その行為に一体なんの意味があってずっと続けているのかは分からないです。けれどきっともう、長くしすぎてしまって癖になっているのだと感じます。
自分は恵まれているし、こんな事を考えるのはとても贅沢なのだろうと分かっています。
それなのに、誰かに甘えたいなぁなどと思ってしまうのです。そういうところがあるから、自分でも「ふざけてる」「そんなこと許されない」と思うのでしょう。この世界で一番私に厳しく、そして私を嫌っているにのは他でもない自分です。それはよくわかっています。たとえ誰かがありったけの愛情を注いでくれたとしても、自分を許せない自分がいる限り私のこの癖が治ることは無いでしょう。
家族にも友人にも当たり障り無いことだけを伝えます。苦しみや悩みをあの人たちに分けることなどしません。自分にそれほどに価値があるとは思えないから。悩みも苦しみも甘えも全て外に出さずに、常に外の人達には都合のいい存在でいれば価値は生まれると信じています。でも同時に、そんな自制をせずとも愛されたいとも思ってしまうのです。甘えたことを言っているのはわかっています。でも誰でもいいから「頑張らなくていいんだよ」「ダメでもいいんだよ」よ言って欲しいと思ってしまう。
でもそれはいけないんです。私は努力が足りないから。他の人に比べて大して頑張ってもいない私が「頑張らなくていいんだよ」なんて言われる資格などないと思ってしまうから。
この考え方はきっと間違っている。それはわかっているのにやめられません。
価値のないままならば、初めからいなかった方が良かったのに。
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ななしさん
ダメでいいんですよ。頑張らなくていいんです。
そのままのあなたが、いいよと言ってくれる場所や人を
見つけていこうね。私もそうします。
頑張り屋さんのあなたのことが、我が事のようにわかります。
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