私の母親はいわゆる毒親とは違ったタイプでした。
私のお母さんは一言で表すと過干渉でした。
私はお母さんを好きにはなれませんでした。
お母さんは人と比べることが好きでした。
隣の芝生は青く見える。
多分そんな感じです。
母の口癖は『Aちゃんは勉強ができるから、あの子とあなたを交換するわ』でした。
私はそれを言われ続けた結果、私は見捨てられてしまうのではないかという恐怖に陥りました。
その恐怖は20代になった今も続いています。
そのため、人を信じることさえ難しくなりました。
母からもらった言葉の数々は私を苦しめました。
それでも、私はお母さんの子であり続けたかった。
それは、お母さんの良いところも知っているからでした。
お父さんは何もしませんでした。
お父さんはいつまでもお母さんの味方でした。
だから、私には味方がいませんでした。
幼い頃から私に味方がいないことは分かっていました。
そのため、高校3年になる頃にU(ユー)という女の子とkey(キー)という男の子が自分の心の中で人格として息をするようになりました。
彼らは表に出てくることはありませんが、今も私の心の中で生き続けています。
そして、小学生の頃から私は自分の性に違和感を抱いていました。
私はその答えがやっとわかりました。
私はバイセクシャルで男の子も女の子も好きだったことでした。
でも、それを両親に話すと上の空でした。
父は分からないと言い、母に限ってはずっと女子校に通っていたからそう錯覚しているだけよと言います。
でも、私は憧れで人を好きになるわけでもありません。
ただ好きな人がいたら好きだから。
ただそれだけなのに理解は得られませんでした。
難しい問題に直面した時に相手は受け付けないのだとやっとわかりました。
だから、家族にはもう話していません。
私は母親のことが嫌いです。
でも、好きな部分もあるから余計に苦しいです。
趣味の話や将来のことを話したりするから。
だけど、お母さんとの悲しい思い出は今もフラッシュバックして辛いです。
だけど、これは1人で乗り越えるしか道がないのかもしれません。
誰にも迷惑かけずに生きないといけないから。
私は迷惑かけちゃいけない。
でも、家族の負担だってことも知ってる。
お父さんとお母さんが幸せになるには私が消えることが1番良いことすら知ってる。
でも、私も幸せになりたいよ。
生きていたいよ。
お母さんが好きじゃなくてもお母さんの子になりたい。
私、いっぱい頑張ったけどお母さんはもっと頑張れって言うね。
私はいつまで頑張れば良いの?
どのくらい頑張ったらお母さんは満足してくれるの?
お母さん、私。
お母さんの子になれたかな。
私、何もかも苦しいよ。
私、生きてちゃダメな子なのかな。
お母さんに愛されたかった。