トロッコ問題をご存知だろうか。
トロッコは止まらない、一方では5人、もう一方では1人いる。
どちらかにレバーを引いてレールを動かし、どちらかを犠牲にしてどちらかを助けるかという
価値観に趣を置いた問題である。
5人の方には、犯罪者や老人、ニートなどなど
1人の方は、善良者や子供、働き者など
過去の実績や、未来の可能性において優劣をつけ価値観を見定める
もしくはそこに起きる責任と代償の感覚の模索
犯罪の程度、詳細な年齢、など細かな設定で答えが変わるような、答えがない問題。
しかしながら、ものを説明したり、価値を見出したりするのに比較することは必須である。
よって少なくとも価値の優劣について決めざるを得ないのである。
「人間の命はお金に変えられない」という言葉があるが単なる綺麗事。
確かに、「人間の命はお金で決めるべきではない」。
だが現状、命に価値を見出そうとしている。いや、正しくは価値を無意識的に見出しているといった方が適切だろうか。
ネットで誰かの投稿や記事に対して、見た目、その人の過去、どういう人間か、それを見て使う言葉を選ぶ。
人種差別、人権侵害、いじめ、立場、偏見、男尊女卑、女尊男卑。
その価値の決めつけによる悪影響は多少なりとも耳にするだろう。
無意識に価値を決めつけているにも関わらず、我々はトロッコ問題のように命の価値を決める行為に顔を顰める。
価値をつけるから優劣という問題が起こる。
ならば全員の命の価値をなくせばいい。
なんてことにすれば秩序が欠落し崩壊の一途を辿ることになる。
価値≒優劣
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ななしさん
そうだね
みんな価値なんかないってことに行きつく気がするなぁ
善人っていうけど、善人ってだれに役に立つの?
だれにでも役に立つわけないし
自分とか他人とかでさえ、
その場その場で評価は変わるだろうし
どっちを選んでも正しいだろうし、
どっちを選んでも間違いだろうね
トロッコ問題でわかるのは、
主観的にも客観的にも正しさを定められない
物事があるってことだとおもう
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