ある程度理論的に考えられる(少なくとも自分ではそう考えていると思っている)ようになってからは、常に感情と理性を分けることをモットーに生きてきた。感情で物事を判断してはいけないと思ってきた。やりたいこととやらなければならないことを天秤にかけ、やらなければならないことを優先させてきた。それは今でも間違っていないと思うし、今後もそうするだろう。
しかし、最近ふと思う。やらなければならないこととは、誰にとってのことなのだろうか。自分?親?友達?あるいは所属する集団や組織のため?もちろん、自分にとってやった方がいいこともある。その一方で、「親や友達に心配をかけないように」やらなければならないと思ったことも、「所属する集団にとって必要だから」やらなければならないと思ったこともある。実際のところ、「やらなければならないこと」の対象の内訳はわからない。今後、メモることもない。
何が言いたいのかというと、自分で理性的に判断しているように見えて、実際は他者の目を気にして感情的に判断しているのではないかということだ。自分に非がないようにするために「やらなければならない」ことをやっている自分は、理性とは程遠い場所にいて、どうしようもなく自己中心的である。本当に嫌になる。
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ななしさん
やりたい事や、やらなければならない事を感情で選ぶのは、別に嫌悪する様な事ではないかもしれません。
自分のあらゆる行動をそれぞれ塾考した上で選択するのは時間の制約的にも人間の能力的にも無理があると考えます。
あらゆる物事を感覚的に捉える為に感情というものが必要なのだと私は解釈しています。
他人の目を気にせずに行動する——それによって被るリスクを「理性」で考えてみて下さい。
もちろん他人の目を気にして行動するリスクも同様に。
理性で選択しようが感情で選択しようが、そんなに変わらないのではないでしょうか。
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