一ヶ月ほど、小瓶を流せませんでした。
技術的な問題や、時間的な問題ではなくて、純粋に小瓶を流す気が起きなかったのです。
面倒だとか、文章が思いつかなかったとかではなく、怖くなったのです。
意味の分からない恐怖が、しばらく支配していました。
勿論それ以外にも原因はありますが、おおまかな原因は得体の知れない恐怖でした。
何故、恐怖を感じたのか。
言ってしまえば、ただ悩みや出来事をタイピングして海に旅立たせるという簡単なこと。
どこに恐怖を感じるところがあるのか。
小瓶が正しく流れないことでしょうか?
流した小瓶が知人にバレてしまうことでしょうか?
自分が考えついた結論は、
自分よりも助けを求めている人達の小瓶が暗い海へと沈んでしまうことを恐れた
という物です。
この宛メには、自分よりもずっと辛い境遇の人、自分の想像のつかないようなエピソードのある人、胸が苦しくなるような体験をしている人...
本当に救いを求めている人が、癒しを求めている人が、悲痛な咆哮をあげている人が大勢います。
でも、自分が小瓶を流したら、その人達の小瓶が流れ着く可能性が下がります。
自分の話なんかより、自分以外の宛メにいる方全員の小瓶の方がずっと大事です。
そのことに、気づいてしまったのでしょうね。
自分のせいで、誰かの救いの手を振ってしまうことに成りえることに。
自分のせいで、誰かの声をかき消してしまいかねないことに。
自分のせいで、救えたはずの未来を埋めてしまいかねないことに。
と、いう訳です。
この小瓶もその芽を潰す一つになってしまいますね。
だったらこんな小瓶を流すなって話ですけどね。
そもそもの話、この話を海に流す必要性もありません。
この小瓶を見た人に、自分は何を伝えたかったのか。
書いている自分ですら、よくわかっていませんもの。
自分の考えた仮説を誰かに話したがっているだけの人ですものね。
おや、この話も持ち出す必要なかったですね。
これ以上書いても、宛メのサーバーを圧迫するだけなのでこのぐらいでお開きとしましょうか。
皆さんに、少しでも幸があることを願って。