自分が大嫌いなことも認められない、
何にも認められない、
そんな自分がいたことに初めて気がついた。
自分を否定しすぎて
自分の認識を何も信じられなかった。
他人に、他人の意見に
縋ってもだめだったのは結局
自分を信じられなかったからなんだ。
希死念慮さえも
「こうすればいいんだろ?」
「こうすればいいのに」
「こうするべきだ」
って、頭の中のもう一人が義務論を
囁いていただけだった。
今まで自分で自信を持って
決められたことなんてなかったんだ、
そういうふうに自分で思ってたとしても。
自信に満ち溢れて、
あれやりたいこれやりたい!
こんな学びがしたい!
といってたって、
それは結局本当の自分を
抑圧したうえのものでしかなかった。
大嫌いな自分を変えたいからこそだった。
嫌いで嫌いで、殺したいほど憎かった。
別人になりきろうとするくらいには。
その殺したい自分という存在が、
やりたいと欲していたことなんて
ホントは何一つなかったんだ。
自分自身を苦しめていたのは、
無価値だと貶めていたのは、
なにもできないといったのは、
自分だった。