介護職時代の話なのですが、私は当時無資格で介護の仕事をしていました。
休職してから初任者研修の資格を取りましたが、介護職の難しさというのをどう解決できたのかと考えた時に、最初から初任者研修の資格を持っていれば自分の考え方も変わっていたのかもしれないと思ったり、先輩からの言葉の受け取り方もかわし方もちゃんと出来たのかもしれないと考えましたが、もう遅かったです。
その時の私は介護職自体の現状を初任者研修を通して知ってしまったからでした。
それからは、介護職を辞めるという大きな決断をしました。
それは、それで悪くない決断だったと今でも思ってます。
でも、私の心に残ってしまったのは数多くの先輩からの厳しい言葉の数々でした。
家族は忘れろと言いますが、私は忘れることが出来ないんです。
トラウマみたいに残った記憶の中で小さな記憶として残っているひとつはごはんの盛り方でした。
毎日配膳という仕事がありました。
老人ホームでの配膳は人によって食べるものや食べれるものが違うため注意しなければなりません。
この方は塩分控えめ、この方はお粥など人によって食べるものを分けなければいけないからです。
そして、その方が食べれなかったらとろみをつけて食べてもらうようにする工夫など、食事の場が1番緊張感がありました。
その中でもごはんの盛り方は3通りプラスグラム数を計りながらごはんを盛る作業が大変でした。
その3通りは少なめ、普通、大盛りであとは80グラムと100グラムにすることでした。
私は2度その業務を頼まれましたが、その2度ともやることが遅いと言われて業務を外されました。
周りの先輩職員さんは素早く動けているのに私だけ動くのが遅くて遅れをとるたびに私は何度も自分を責めました。
今ではそのごはんの盛り方を怒る人はいないのに、勝手に私のせいで何もかもが滞ると感じて、変にごはんを盛ることが怖かったりします。
これって、おかしいですよね?
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ななしさん
おかしいとは思いません。
経験が心に傷を残すようなものなら、簡単に癒えるものではないと思いますし、その作業が辛くなることだってあると思います。
配膳が大変なことは、おなじく無資格で介護現場でパートをしていた妹から聞いています。
(しばらくしてから、配膳は給食に変わったそうです。職員の負担を減らすためだと思います)
多くの気配りをしなければならない業務で、職場全体がその部分にピリピリしていたのでしょう。
小瓶主さんは、酷い叱責のターゲットになってしまって、とても辛かったと思います。
簡単に記憶を消すことは難しいですが、いつか「そういうこともあった」と、遠い記憶として感じられる日が訪れますように。
ご飯の盛り付け(配膳準備)の先には、ご飯の配膳や食事補助の分担があるんだよ。
リレー大会で君はトップバッターだったんだ。
だから「早く」って言われた。アンカーのためにね。
もし君がアンカーだったら「急いで欲しい」の気持ちは理解できるよね。
でも初心者研修者は正式なチームメンバーではないから、本来なら急ぐことより、間違えることや配膳が遅いことでどんなことが起こるかを教えて貰う必要があったはずなんだ。命に関わることなら尚更ね。
とは言え現場に入れば「臨場感」があるし、研修者は戸惑う。それでも職員は研修者の対応のために利用者の対応の質を下げるわけにもいかないんだ。
君は手を抜いた訳ではなく、やれるだけのことはやったし、結果それが失敗だったとしても、誰だって失敗はあるんだ。
怒られた過去は変えられないけど、それもひとつの経験だよ。
「怒られると人は萎縮するし、恐怖を覚える。この経験から私は同じことがあったときは(こう)しようと思う。」
その(こう)の部分を考えるきっかけの体験をしたんだ。
きっとそれを考えることが君の恐怖を克服するための、ひとつのヒントになると思うよ。
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