母親が私の人格の1部になっているような気がして怖いです。
母はよく私のことを助けてくれました。
習い事ではこうしたほうが上手くなるだとか、作文や宿題も母がやってくれることがよくありました。
小学4年生のときには母が書いた作文が市内のスピーチコンテストで表彰されたりもしました。
中学にあがってからはLINEやSNSのアカウントを共有してメッセージを見ているだけでなく、なりすまして返信したり、意気込みを母が書いていたりするのです。
確かに私にできることは少ないし、未熟だし、実際に母のおかげで評価されていることもあると思います。
というか、ほとんど褒められることは母がしたことです。
けれど、褒められてもちっとも嬉しくないし、そもそも私の存在意義が分かりません。
それならば母がいればそれでいいのではないかと思います。
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母含めて自分にしてしまうのも手。
自分って言っても
親からの恵みを受けて作られた自分。
私は今の恵まれた環境にいるのは
親のお陰だとつくづく思う。
自分の人格、性格も
親によって作られてる。
自分が褒められてるのは
親のお陰、つまり親が褒められてる。
考えすぎてもよく分からなくなる
ところだと思う。
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