パターン1
客「兄ちゃん、頼んだモン来てないけど。」
店「申し訳ありません、すぐにお持ちします。」
客「おう、頼む。」
店「大変お待たせしました。」
客「ありがとー。」
パターン2
客「すみません、注文したものが来てないんですが。」
店「申し訳ありません、すぐにお持ちします。」
客「……。」
店「大変お待たせしました。」
客「……。(コクッ)」
個人的に定義している「敬意」と「敬語」の違いを簡単に表すとこうなる。
これに正解不正解も無ければ優劣も無いんだろうが、詰まる処「人と生きる事」と「群れで生きる事」の違いだと考えれば腑に落ちる。
私は年下や後輩にタメ口をきかれても周囲程敏感に反応しなければ、序列の概念を押し付ける事もほぼ無い。
寧ろ敬語が無い方が相手の人間性を図りやすいくて都合が良いと言ったほうが正しい。
敬語を話していても不敬を働く人間は大勢いる。
要は内側か外側かと言う事だ。
「万事屋」と「便利屋」にも同じ事が言える。
「何でも出来る人」と「何でもやってくれる人」。
能力と都合、この違いは大きい。
日本語は難しいから、こういった定義の境界が曖昧過ぎて
、捉え方を「個人の主観」に委ねている節がある。
これが俗に言うポジティブとネガティブの一端。
純粋な「楽観と悲観」を表しているのではなく、使う人間の都合で捻じ曲げられた理屈だという事だ。
単刀直入に言えば、外側だけ取り繕っていれば後はどうでもいい。
都合の良い言葉だけ並べて、後は相手の主観に押し付ける。
反発が来れば捉え方の問題と茶を濁す。
誰かの作った価値観の中で、誰かに見られる為に取り繕い、作りたい物より金になる物を売り、誰かと過ごす為に身を切る。
まぁそれが社会だと言えばそれ迄なのだが、その概念が及ぶ必要のない範囲にまで侵食したがばかりに、誰と共存して誰と戦ってるか解らない本当にくだらない世界になってると感じているのが正直な処で、こんな社会に所属しながら他人と血縁関係を結んだり子孫を遺そうなどと周囲はよく思い立つものだと常々思う。
どんな綺麗事を並べたとしても、結局人間は下を見て安心する生き物であると同時に、上を見て絶望する。
しかし、どんな賞レースやオーディションだって分母が少なければ価値はない。
全員が表彰台であり、最下位が銅メダリストなら、そこにどんな差があろうとも首位の価値なんてたかが知れてる。
だから既に価値を見出してないものに惰性でぶら下がってる人間が多い程世の中ってのは変わらない。
見切りを付けて切り離す事は別に悪いことではない。
まぁ究極、この世に見切りを付けかけてる人間がここにいる訳ではあるのだが、結局それも周囲からしてみれば捉え方の問題だと済ませられる話だから、世の中の人間が1人消えた処で何にも変わらないよ。
「社会不適合者」っていうのは別に「人と生きる事」に向いていない訳ではないから。
先程書いた【こんな社会に所属しながら他人と血縁関係を結んだり子孫を遺そうなどと周囲はよく思い立つものだと常々思う。】の一文に違和感があるならね。
死ぬ理由はふたつ。
社会を切り離す。人を切り離す。
死ぬ条件はひとつ。
自分を切り離す。
誰でも無料でお返事をすることが出来ます。
お返事がもらえると小瓶主さんはすごくうれしいと思います
▶ お返事の注意事項
ななしさん
能力と都合は全く別物ですよね。
何でも捉え方次第という世界で生きるのバカバカしくなる時あります。
誰でも無料でお返事をすることが出来ます。
お返事がもらえると小瓶主さんはすごくうれしいと思います
▶ お返事の注意事項