『人のせいにするな』
『最終的に選んだのは自分』
『努力が足りない』
『本気でやれ』
そんな事どうでもいいから、さっさと終われや。
他人の歩んだ他人の人生を投影した他人の価値観に掛けられた他人の評価なんて誰が聞いて得をするのか。
そんな無意義な言葉を羅列されるより、苦しくない首の括り方とか提示されたほうがまだ有意義だ。
失敗が成功へ導く話が蔓延しすぎて、気持ち悪いくらい根拠のない未来思想を押し付けられるのが現状だがな、本当に繰り返した失敗から学ぶ事は希望を根本から放棄するという折衷策だよ。
老いるのは身体じゃない、心なんだ。
『ここからは余生だ』と何処かのタイミングで無意識に決めていて、何をするにしても碌な未来を思い描けない。
人に会うのも人の話を聞くのも辛くなる。
嬉しい。
楽しい。
幸せ。
今日はどうだった?
いい日だったかい?
明日はどんな日かな?
何もねぇよ。
何もねぇんだよ。
他人の不幸に胸を痛める事はあっても、他人の幸せを祝福する事はあっても。
もう自分の事なんて議題にすら挙がらない。
ただただ寿命を待つだけ。
『あの時こうしていれば…』とか『今ならこれができそうだ…』みたいな空想すらも思い浮かばない。
自分の事を話してるようで、自分の事のような気がしない。欲を出す無駄さ加減にほとほと嫌気が差す。いつもの結末に向かう苦行にいちいち心なんて踊らない。
やり直したいのではなく早く終わらせたいんだ。
死にたいというか、生きようと思わない。