『今日は楽しかった』『明日が楽しみ』
この感情が消えて何年経った?
『このまま目覚めなければいいのに』
そう思いながら何度朝を憎んだ?
『努力は裏切らない』=結果論
『いつか報われる』=結果論
『生きてるだけで儲け物』=結果論
創作物の世界を否定する人種でさえ、この壮大なフィクションを肯定する。
所詮ヒエラルキーなんてものは下層が潤っていればいい。ただそれだけでいい。
人間社会で『人に支えられてる』と恩着せがましく口にしながら『人の所為にするな』と吐き捨てる人間の多い事多い事。
他人の背中に足跡付けて、泥を祓いもしない。
結局下が多ければ多い程上は喜ぶんだよ。
増えに増えた下層はミリ単位の背比べ、ミリ単位の叩き合いでミリ単位の優越感をアイデンティティに生きていくだけ。
そんな世界、生きたいか?
馬鹿馬鹿しい。
心の奥底では誰が生きようが死のうがどうでもいいはずなのに、満たされてる人間程無責任に他人を生かそうとする。
非リアを生かそうとするリアもリアが死んで喜ぶ非リアも頭ん中は同じ三角形しか浮かんでねぇだろ。
『あの時生きてて良かった』が表に出過ぎてるだけで、『あの時死んでれば良かった』が同じくらいいるであろう現実は無視される。
願いは望んだ時間に比例するんだよ。良くも悪くも。
本当は肯定するより否定する方がずっと時間が掛かるんだわ。
夢なんて目覚めてしまえば泡沫と消える。
あぁ、今日も目覚めちゃったなって。
人生なんて喪失感と絶望と共に迎える朝の集合。