彼女は「表現者」である。
痛みを、悲しみを歌にして、たくさんの人を救ってきた。
しかしそこにはいくつかの代償があった。
痛みを描くために人を傷つけその姿を見た。
悲しみを描くために自ら人間関係を壊して悲しみを味わった。
多くの人が救われたその歌の背景にはこれだけの犠牲があった、桜の木の下の死体のように。
良く言えば仕事人間、といったところなのだろうか。
彼女はいつまでも幸せになれなかった。
「ねえ…もうやめたら?」
「何が?」
「この活動。お金もあると思うし、どこか遠くで暮らしてみるとか…」
「何言ってんの?やめるわけないし、やめられない。私は表現者として生きていくの、ずっと!!!それにそんなお金…もうないのよ。」
「え…でも、……は有名な歌手だしそこそこお金も稼いでるよね?どうして、」
「放っておいて!!私は…一生幸せにはならない。」
彼女が一番恐れていたのは、「表現者」であることを辞めてしまったら自分の存在価値がなくなるということだった。
誰も一人の人間として彼女を愛さなかった。
皆、彼女が「表現者」であることに特別感を感じて近寄って、彼女と交友関係を持つ自分に酔っているだけだった。
彼女はどうやら一人の男性に入れ込んでいるようだった。
「もう…すぐにみんな離れていくから!!だから、だから、お金で少しでも繋ぎ止めたかったの!!」
「どうして…ねえ……お願い、聞いて!!」
「もういい!!!」
どうやら「表現者」である自分だけでは繋ぎ止められなくなって、お金を男に貢いでいるようだった。
「誰も私を愛さない、私は表現者の私として生きなきゃいけない、もうこんなクズになったんだから…どれだけ楽に生きようと心が休まることなんてなかった。」
太宰氏の「人間失格」の作中の登場人物、堀木の言葉遊びにこんなものがある。
一つの名詞が、コメ(喜劇名詞=コメディのコメ)かトラ(悲劇名詞=トラジティのトラ)かを当てるというものである。
「表現者」は、もはやコメとは言えませんでしょう。
「表現者」は、トラ。悲劇名詞。