正しさ、正義
小学生の道徳の授業とかでたまに耳にする。「なぜ正義は悪を殴っていいのか」だとか。
正しさはどう測ればいいのか。
だとかの正解なんてものはなく、そんなものは教科書には載ってない。
載っているのはそれを考えましょうと言う問いだけ。
それが要因で
間違っている人間がまるで敗者のように扱われ、人と人との間に優劣がつき
価値観の不一致により間違えでもない間違いが生まれ、不当な行いから正義という名の暴力が振るわれる。
だからと言って、
これが正しさで、これが間違いですときっぱり決めれるほど「正しさ」には具体的なものではなく
一つの要因でコロッと間違いに変わってしまうほどに、不適格かつ曖昧な言葉である。
そんな「正しさ」だが世間では普通に使われている。
ただその「正しさ」はあまりにも支配されすぎていると私は思う。
主にその支配しているものとして
暴力、権力、人数、が挙げられる。
過去や今の戦争のように人を蹴散らせる力を持ったものがルールになる。
誰とは言わないがボタンひとつで国を滅ぼせる人間が、賛同しないものを、非国民として逮捕するような者も今にも過去にもいる。身近な場所にもきっといるだろう…俺がルールだ、みたいなやつが。
その暴力を止める力でもある権力さえ、一種の暴力にすらなる。
この社会を作っているのは権力を多く持つ人間であるがゆえに、正義のあり方さえ操作できてしまう。
世の中生きづらいと思う一番の原因かもしれない。
そして唯一、一般人が使えるのものが人数。つまりは多数決。
過半数がそれは正しいと言えばそれが正しいものになる。これは誰でも力に対抗できる強い武器である。でもそれで自分が正当性を失う可能性があるのは要注意。
自分を正当化するなら、共通の意見を持つ味方を作ればいい。その主張が道徳的にどうかなんてものさえも多数決で決まってしまうのだから。
この世の中の正義を考えるうちに出たことえがこれだ。
正しさ=多数決
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ななしさん
仮に「正しさ=多数決」だとして
正しさが間違っていた場合、賛成していた人まで、「やっぱり違うと思った」とか、結果を受けて自分の意見まで覆すから。決断の時点で正しさはない。
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