この小瓶に目を留めていただきありがとうございます。
自分語りではありますが、目を通してくださると幸いです。
私は以前、愛されたい、誰かから愛されていないと自分に価値なんかない、そう思っていました。
私は、[愛される私] になるために生きていました。
それが幸せになるための最善の方法だと思っていたからです。
みんなから愛されている私は、私にとっての理想の私であり、夢でもありました。
自分のことを好きになりたい。
だから恐らく相手に求められているであろう私、を演じていたのです。
だけど、ある日ふと気づいてしまったんです。
誰かから愛されるために自分を隠して取り繕い、相手からの反応を伺いながら日々を過ごすことで、自身が感じていたストレスに。
無意識に愛される私を演じていたということは、そのままの自身は誰からも愛されない、そうどこかで思っていたのでしょうね。
理想の私を演じたにも関わらず、相手の理想の反応が得られずに落ち込む時もありました。
満足のいく反応が得られたとしても、どこか心にはぽっかりとした穴と、不安が残る感覚も。
相手からの反応あって初めて自分を肯定できる、といった具合ですから、結局1人の時に底知れぬ不安感に苛まれることになるのです。
今が幸せだって思う時もあるけれど、これから一生私は幸せだ、なんて思うことはありません。
しかし何故か、落ち込んでる時はこれからの人生にとてつもなく不安を抱いたりするのです。
これが一生続くのかと。
大袈裟ですが、一時の幸せだと分かりながら、それにすがりついて生きているなんて……
そんなの薬物と同じでは無いか。
そう思いました。
そもそも大前提、愛されたいという感情は愛されていることを自覚して、安心して自身を愛したい、そういったもの。
幸せになりたい、という漠然とした願望から派生した欲望ですが、幸せに生きたいという目的をもって、私は順序と手段を間違えてしまっていたんでしょうね。
それに気づいたことが、考えをシフトする第1のきっかけとなりました。
誰かに愛されたい。
ではなく、私が私を愛したい。
友人と話をしていても常々思うのですが、私達日本人は自身を卑下してしまう癖がなかなか抜けません。
自分のこと、好きになれないんですよね。
だから
「私なんかを好きになってくれる人なんて」
そういった考えがまず頭をよぎり、なかなかさらけ出せずに殻に閉じこもってしまう。
自分のことをきちんと愛せる人、そういった人に憧れるけれど、その感覚を押し付けられてしまったり、理解して貰えずに呆れられると、卑屈な思いはかえって増してしまうのです。
自分のことを信じて疑わない、パワフルに生きている人もいますよね。
そういった人を自分と比べて、とてつもなく自己嫌悪に陥ってしまったり。
だから少しずつ、少しずつ自分を好きになる練習をしました。
誰かと自分を比較する回数を減らす努力をする。
相手を(必要以上に)見ない、気にしないことにする。
「そんなこといっても、嫌いなものは嫌いだ。比較しちゃいけないことなんかわかってるけど、してしまうんだから仕方がない。」
……って思っちゃう自分をやめる。
いやいや、と。
難しいんですけど、意識してやめると次第に病む日が少なくなっていくものです。
不可能なことではありませんでした。
昔、信じられないくらいに自分のことが嫌いだったのに、少しずつ自分を愛せるようになっていきました。
変化が起こるきっかけや期間の長さは人それぞれですが、私の場合は環境や人間関係の変化が大きかったと思います。
そして、自分と似た考えをもつ誰かを客観視すること。
あぁ、私こういう風に見えていたんだ。このままじゃ嫌だな、自分のこと変えたいな、といった具合に。
失敗だってきっかけのひとつになりました。
卑屈になってしまったことが原因で、友人や交際相手と上手くいかなかったことも。
「私なんか、私なんか……だけど、愛されたい。」
自分が自分を愛せないのに、誰かに受け入れて欲しいだなんて。愛されたいだなんて。
謙遜してるようで、図々しいだけでした。
すぐにでも変えたい、そう思いました。
私の力で私を幸せにしたい。
私を幸せにする方法は、私が1番分かっている。
言葉にすると少し照れくさいですが、そういったマインドで日々を過ごすようになると物事の見方も180度変わっていきました。
私の最終目標は、人生の最後に「我が一生に悔いなし!!!」と胸を張って死ぬこと。
その為には自分の心の自傷行為をしてる余裕なんかない、そう思うようになりました。
まだまだ私は青いんでしょうが、今は幸せいっぱいで死ぬ気満々だったりします。
それを誰かに否定させたりはしません。
結局は、自分のことをきちんと愛せている人の周りには人って集まっていくんですよね。
やっぱりそれが事実なんです。
ならば、そう生きよう、と。
愛される人間ではなく、自分や誰かを愛せる人間になろう、と誓いました。
自分を幸せにする手段は、愛されることに依存する以外にいくらでもある。
幸いにも幸せになろうとした者は幸せになれる、恵まれた社会に私達は生きています。
私は私に、私を幸せにするという義務を課して生きる。
これが漠然とした、しかし真意であること間違い無しの私の目標です。
私達はまず、自身に愛される権利があります。
そして自己愛は、自身の価値になります。
貴方は貴方を愛せているでしょうか。
____私は10代の文章力も拙い学生ですが、自身を思い返し、そしてこれからこうして生きていこう、そういった考えを文章化することを目的にこの小瓶を投稿させて頂きました。
この思いが誰かに届き、共感したり、励まされる方がいればいらっしゃればいいなと思っております。
宛名の無いメールを長い間利用させて頂いていますが、このサイトを利用されているユーザーさんには自身と向き合い、今を変えたいと思っている方、想いをだれかと共有したいと考えている方、そして救いを求める方などと様々いらっしゃると思います。
この小瓶に共感し、ここまで読み進めてくださった方がいるのであれば、とても嬉しく思います。
思ったことや感じたこと、ご自身の体験談などと一緒にお聞かせくださると幸いです。
長くご清覧、ありがとうございました。
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ななしさん
私は自分のことが大嫌いです。
友達に、自分のこと否定し過ぎだと
よく言われるので悩んでいます。
けれども、この小瓶を拾ってみて
少しずつ自分を大切にできるように
頑張りたいと思いました。
今までよりも前が向けそうです。
ありがとうございました!
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