母の許可がないと何をするのも恐ろしい。勝手な行動で怒られるんじゃないかと思うと不安で足がすくむ。周囲に相談しようとしても、それは許可が出ていないので、していいかも分からない。勝手にしたとして、もしバレたら叱られると思うと何も出来ない。学校では平気なのに。ある程度勝手に出来るのに、最後の最後で踏ん切りが付かない。部活も、母と相談して決めた。
思い返してみれば、私の人生で肝心な所は母が決めた。お姉ちゃんと同じ道。それが母が示した私の道だった。それが中学生のときは嫌で嫌で仕方がなかった。だから進路を決めるときに、私は一度母に説得を試みた。母が決めたところに行きたくなかったからだ。結果は惨敗。勝手な事をするなと怒られた。その時、開口一番に言われた言葉は「なんであんたが決めんの。」だった。私の人生は私の物じゃない。少なくとも学生の内は。それが分かる有意義な話し合い…母の演説だったと思う。その後もトントン拍子に話が進んで、私は私の道を選ぶことは出来なかった。したいとも思わなくなった。進路懇談のとき知らない話を母と担任に目の前でされても思いは変わらなかった。何も思わなかった。
何度かは助けを求めようとした。けど宛がなかった。伸ばした手の先には、私が触れられたくないと拒絶した手しかなかった。それを寂しいとは思えない。ただ、少しだけ寒かった。私の選択肢を狭めたのは母だ。だけどその選択肢の中から孤独の道を選んだのは私だ。本当に笑えてくる。相談して、何も変わらなくて、変わらないくせにバレて、叱られるのが嫌だった。怒られるのが嫌だった。責められるのが嫌だった。否定されるのが怖かった。だから私は丸まって、現状に甘えて、不平不満をネットに垂れ流すだけの馬鹿になった。それが母に内緒で私が決めた最初の事だった。
こんな高圧的な母だが、ここまで絶対王政を敷いてはいなかった。昔はもっともっと優しかった。だけど飼っていた猫が中学一年生のときに亡くなって、それから段々とこうなっていった。駄目になって、腐っていった。ペットロスでしんどいんだろうなって想像はつく。家族が役割を分担していったら、きっと良くなるっていうのもわかってる。なのに許可がないから何も出来ない。怒られそうで、口もきけない。だから冬のような家で、大人になるまでのあと数年を、死んだように数えてる。
2年以上経ってるから心はもう慣れている。けど、暖かい思い出はアレルギーになってしまった。怒られても否定されても何も思わないのに、優しくされると泣けてくる。撫でられると鳥肌が立つ。褒められると死にたくなる。
詰んでて本当に笑える。
ぐちゃぐちゃな文でごめんなさい。