なんか、
誰かに期待して欲しかったんだな
と思った。
人のせいにするつもりで
言うわけじゃないけど、
私多分あんまり期待されなかったから。
それは本当に本当で、
まあ昔わたしが本当に
人と上手く付き合うことができなくて、
その人との付き合いを学んだのも
小説からとかいう捻くれ度合いで、
集中が困難な人間でそのせいで
授業聞いてなかったりミス連発したりで、
まあそんな感じなので。
今はおかげさまでほぼよくなったけど。
ネグレクトとか虐待じゃない。
家庭内は幸せだったと思う。
あるとすれば、母が昔色々あって
子供に期待を見せない人であって、
でもこれ自体が問題じゃない。
わたしが社会不適合者すぎて、
保育園や学校で支給される
期待という栄養食品を貰い損ねて、
結果供給先を完全に失っただけだ。
そうじゃなきゃ上手く行ったかな。
先生にも呆れられて、怒られて、
そういえば小学一年生の頃の担任に
家庭訪問で
「トットちゃんみたいですね」
って言われたらしい笑笑
褒めてんのか貶してんのかわからんて。
こいつ馬鹿やなって思われるのが
デフォルトだと思ってた。
友達もあんまできなかった。
小学校は悪いガキンチョが多かったので
嫌がらせもちょっとあったなあ。
他人に興味のない人間で、
一人でも平気な人間だと思ってた。
それが好きな人間だと思ってた。
一種の防衛反応だったのかもしれないな。
まあそのうち友達の味を知って
苦しみ始めるわけなんですが。
私はでも自分ならできる!
って根拠もなく考える人間で、でも
だからここまで来れたと思う。
やっぱり私は恵まれた人間で、でも
心の弱い人間だったから
それだけじゃダメな人間だった。
愛してほしいのも承認欲求も、
私だけじゃない誰かにわたしを
見込んで欲しかった。
ただ、自分だけで自分に期待することに
疲れてしまって、休みたかった。
わたしなんかもうダメだって、言って、
自分を休ませて誰かに
君ならできるよ、て言って欲しかった。
単純だなあ。
それで、このまえ担任に、
「じゃあこれ目指して頑張ろう」
って言われて。
高い目標で、難しいことで、
先生は気合を入れるつもりで
適当言ったんだと思うけど
やけに嬉しくなってしまった。
最近恐ろしく自堕落的で、
自傷的な行いをしていたのも、誰かに
それじゃダメだよ
君ならできるよ
こんなことでウジウジするな
って言って欲しかったのかな。
期待されて、
あっけなく終わるなんて
なんて単純なことだったんだろう。
きっと、正しい形の友達ができないのは
わたしが友達を友達として
見れないからなんだろうな。
期待をかけてもらうことを
友達に求めるって、変だもん。
だから、友達になろうととる形は
支配か、被支配の形だった。
そんな字面通りの怖い感じじゃないけど
超完璧なわたしを見せて、
君すごい!頼らせてー
というのを受け取るか、
超ダメダメなわたしを見せて、
さりげなくヨシヨシしてもらったり
怒ってもらう。
超完璧なわたしを演じるのは
上記の通り私には不可能で
必ずボロが出るからできなかった。
でも私は完璧よ精神だけが
滲み出るので
ただのあイターな人になり
友はできませーん。
ダメダメな人を演じるのは簡単だ。
私の弱い部分を曝け出すあるいは
強調するだけだ。あとは
わたしはダメダメの天然人間として
面白おかしくされながら
周りにヨシヨシされればいいんだから
楽だった。
でもわからないな、
相談に乗って乗られて
楽しく話して時には喧嘩して
ほんとを言い合える友達の作り方なんて
わかんないや。
唯一の幼馴染一人と
中学時代唯一の部活仲間一人。
合計二人くらいだな、
対等に友好関係を築けたのは。
まあ、二人っきりにでもならないと
こんな人間性のやつとは
やっていけないということです。
二人とも第一印象良くなかったって
言ってたしなあ( ; ; )
まあ、話がえらく脱線しましたが
ということでやっと
このくだらないことで悩むのが終わる
希望が見えたかもしれない
ということです。
この一滴でどれくらい
生きていけるかわからないけど
こうやって生きていくしか
ないのかもしれないね。
中学の時も多分そういう理由で
ここにお世話になったなあ。
私を覚えてる人もここに残ってる人も
多分もうあんまりいないけど。
なんとなく死にたい、だっけ。忘れた。
多分そんなことを思って、
終盤には今と同じく
自己の確立に苦しんでたと思うけど
きっと本心はこんな感じ
だったのかもしれない。
わたしの期待に対する飢えは
多分しばらくこうやって
浮き沈みの激しいものだと思うけど、
その度ここにお世話になって
自己回復できたらいーなー。
ここは書くだけで
ちょっと気分が晴れるし、
たまに自分で解決できるから笑笑