今日友達が言ってた話がなんとなく頭から離れない。
お互いが小学生だったときのことをしゃべってたんです。
その友達が小学校の時、不登校の子がいたらしい。
それで、その子は週に1~2回ぐらいは学校に来て、
校長室で勉強してたんだって。
で、それを知った同じ学年の子たちの間で
「校長室には冷房が効いてる」とか「校長室ではお茶とお菓子が出てくる」とか「あいつは遅刻しても叱られない」とか、そういう類の噂が流れたらしい。
それで、その友達はある日その真相を確かめに校長室に行って、
校長室の様子を見て
「なんで私たちは毎日暑い中出てきて勉強してんのに、
あの子は遅刻するのに冷房効いた部屋でお茶飲みながら昨日の宿題やってるんですか?不公平じゃないですか」って担任に食ってかかたらしい。
そしたら担任の先生が、『そんな酷いことを言うな』『お前に失望した』『〇〇さんは〇〇さんなりにがんばっているんだ』
とかまぁそういう返事をしたらしいさ。
その子はもう大人で、今は
「あんときはさ、物事もよくわかんないでひどいことしたわ」って言ってる。
けど、確かに小学校ぐらいのときって自分もそうだったなって思って。
私もそういう考え方してたなって。
心の病って見えないから、そういうのって甘えにしかみえなくて。
見守るって甘えじゃん、甘やかしてたらいつまでもそんなんじゃん、って思ってて。
いつごろから、ちょっとずつにせよ、理解するようになったのかな。
この話を聞いた後、
こういうとき、担任の先生はどうやって説明するのがいいんだろうな、とか
同じように思ってる大人もまだいっぱいいるよね
とか
そういうことをぐるぐる考えて、やっぱり心の病(病とまではいかなくても、心の不調があるということ)を理解するって大事で、
もっと社会的にそれが浸透しなきゃいけないんだろうな って
うつらうつら考えてました。
言いたいことがまとまらないな。まだ自分の中でもまとまってないからかな。
「甘え」と「一人じゃ超えられない壁」の違いはホント紙一重でもある。難しいなぁ。どう理解すればいいのか。
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ななしさん
甘えること自体は、悪いことだとは私は思いません。
甘えっぱなしが当たり前になって、本来、やってみれば、
自分で出来ることさえ、誰かに全部丸投げしてしまう状態(依存)が
ヤバいのだと思います。
なんであれ、他人に限らず、自分もですが、
我がことは、自分自身に頼って試行錯誤しながらもやっていく、が
着地点だと思います。(一人じゃ超えられない壁)
他人に対するスタンスも、見守る、伴走(情報提供、助言も)が、
人が人にしてあげられる限界だと思います。
それ以上は、恐らく超えてはいけないと思います。
(そのミスは、私もよくしてしまいますが、決して良くはないのです)
もっとこうすればいいのに~
私ならこうするのに~
なんで、こうしないのかなぁ?・・・みたいなことも含みます。
最後にどう生きるのか?の方向性は、当人にしか決めることは出来ないからです。(そいつの人生だから)
だから私は、校長室登校は、保健室登校と同じで、
自分が自分で面倒見られるようになるための、ワンクッション置く
状態(階段でいうところの踊り場)だと思います。
主さんみたいに、時間を経て振り返った時、
そんなふうに思える人が現実にいる、というのは
現在が辛くとも、未来に対して
救いになる人が多いのではないか?と思って読みました。
まいたん
ななしさん
時に甘えるのはしかたないと思います。心が弱った時は、誰でも甘えたくなるものですよね。
ただ、主さんも仰る通り、甘えでも叱咤でも乗り越えられない『一人で乗り越える壁』がある事を忘れないでほしいと思います。
最後の壁は自分自身かもしれませんね。
参考になれば幸いです。
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