わたしのすすむ「みち」は
どんな「みち」なのだろうか
でこぼこしたてきとうな「みち」なのだろうか
コンクリートでつくられたわけでもなく
ガードレールがあるわけでもない
ただただつづく みちなきみち
まえはまっくらで
なにがさきにあるかはわからない
うしろをふりむくのはできても
もどることはできない
ただただ がむしゃらに
よくわからないまま
すすんでいく
ときには
おおきながけがあって
のぼらなきゃいけなかったり
おっこちてしまうこともある
ときには
たすけとなるどうぐが
おちてたりする
ときには
くろいきりに
おそわれることもある
なにがあっても
しっぱいしても
うしろには
もうもどれない
いま わたしの
うしろにあるがけは
もう あしもとにまで
せまってきている
このままもうのみこまれてしまうのか
またさきのわからぬ「みち」を
はしらなきゃいけないのか
わたしのすすむ「みち」は
どこまでつづいているのだろう
いつまでつづくんだろう
さきになにがあるのだろう
わたしはなんかいころぶだろう
たちどまってしまったらどうなるのだろう
そんなこと だれにもわからない
ただわかることは
「みち」をすすんでいくとき
なにがあっても
わたしのせきにんであること
わたしのすすむ「みち」にたっているのは
わたしだけということ