言葉についてよく考えてみました。
私はどんな暴力よりもやっぱり言葉の暴力が1番きついかもしれません(笑)
で、1番気になった言葉。
「死ね」
これがなんだかんだいって1番簡潔で1番傷つくかもしれません。
でも私達の周りではこれはもはや当たり前の言葉になってる。
おおげさですがもう挨拶みたいなものです。
よく耳にする「~死ね!」
多分皆は死ねという言葉にたいして深い意味はないはず。
でもむかつくから中でも1番最大の暴力的な言葉を使う。
これが短くてとても暴力的だから使う。
そしたら自分の中で何かスッキリするんですよね。
「自分が勝った」みたいな。
私的には死ねを連発する人は相当弱者なんだと思います。
自分が負けたくないから、
相手がむかつくから、
わざと1番簡単な暴力的な言葉を発する。
「自分は勝てるんだぞ」って。
まあこれはあくまでも私の意見ですがね。
私も昔使ってましたから;
その時を落ち着いた今考えてみるとやっぱりこうだったよなあって思いました。
あと、高校1年生の時に先生が「死ね」の言葉がやっぱり気になってて「皆に言われて嫌な言葉アンケート」というものをとったんです。
そしたら1位がダントツで「死ね」
やっぱり皆嫌なんですよね。
だから、使うともいってもいい。
人間そんなもんですよね。
本当は嫌だしダメな事って分かってるけどやっちゃう。
本当は分かりあえてるはずなんです。
こころのなかでは。
でもどこかで食い違う。
だから言葉が暴力的になる。
そう思うと切ないですよね。
あとよくお笑いでも「死ね!」とか言ったりしますよね。
あれも敏感な人は「どうなんかなあ」って思ったりしますよ。
私は面白いからどっちでもいいですけどね(笑)
なんかもう死ねは当たり前の言葉に成りつつあります。
とくに深い意味はないとする、
だけども言われたらやっぱり悲しいものですよね。
人間の心をうまくつかえたらいいんですけどね。なんで人はこんなに苦しめ傷つけあうのでしょうか。
ちょっと思ったので投稿させていただきました。
皆も言葉についてよく考えてもらえたらいいな◎
私もがんばります^^
by あい太郎
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ななしさん
中学時代、私もよく「死ね」って言われていました。
それも、友達だと思っていた人に。
確かに最初は凄く傷つきました。
死んで欲しいなら、本当にこのまま死んでしまおうかとも。
相手にとって何の意味も持たない言葉だったとしても、言われた相手はいつまでも残るんですよね。
でも言われ続けていくに連れて、いつからか思ったんです。
本当、可哀相な人だなと。
こんな事にも気づかずに言い続けるなんて。
そんな言葉でしか、自分を守る事ができないなんて。
それから私は、彼女を友達だと思うのをやめました。
すると、そんなバカらしい言葉も気にならなくなり、本当の友達と楽しく過ごせるようになりました。
されて嫌な事はしちゃダメだって、きっと小さい頃に教わったはずなのに。
大切な事をどんどん忘れていくなんて、なんだか悲しいですよね。
ななしさん
自分も「死ね」はよく使いますね
りんこ
ななしさん
いいこと言うね~!!
ななしさん
使ったことないなぁ。
あ、唯一、父には言った事あるか。9才くらいの時。
母に向かってあまりにも暴力ふるうから、『暴力ばっかりのおとうなんて要らない!!そんなにおかあに酷いことばっかするなら死んじゃえ!!』って。
そしたら、誰に育ててもらってると思ってんだ!!て言うから。
『おかあとじぃじじゃん!』って。
それから仲が険悪になっちゃったなぁ…。
しばらく経って、軽ヶしく言ってはいけない言葉だったんだな、と学びました。
ガラス玉
ななしさん
『言葉は人と人を結びつけ、時には心と心を引き離す。言葉はワインであり、刃物だ。』
この言葉は私が某アーティストさんの言葉ですが、ホントそのとおりだと思いますねぇ。。
言霊とも言いますし、言葉には魂が宿っていると思います。
だから、発言するときは責任を持たなければならないと思う。
ななしさん
言われて嫌な言葉は言っちゃダメですよね。
「氏ね」って言う人に聞きたい。
「あなたは氏にたいの?」
人に言われて嫌な言葉は言っちゃダメですよ。
tare
ななしさん
俺なんかは友達と一緒に結構乱暴な言葉で、うるせーとか黙ってろとか殴るよとか言いますが、消えろ、死ね、どっか行けという言葉だけは絶対使いません。
他の友達はわかりませんが、友達が死んだという経験があるので、少しぐらいはその言葉の意味が分かっているつもりです。
だから、その言葉は使いません。
使いたくないです。
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