どうなんでしょうね。
その小瓶を流した人が、非難される言葉を読んで自分のプラスに出来る人なら意味があるかもしれないですね。
僕は行動するのをやめてしまいますかね。
身近で言うと、親に怒られて気付いたことは1つもありません。
親にとって都合が悪いことでも、それが起きてしまった事実は動きません。
するとすれば未来に向かう話しか意味がないですよね。
怒られた方は、「怒られている内容」「怒りたくなる相手の気持ち」「これからの対応策」を一人で考えないといけません。
怒っている方は、ただ気持ちに任せて言いたい放題言っているだけなので、怒られている人の方がよっぽど頑張ってますよ。
何万回も自分で自分を責めた後に、親から現実的なアドバイスも経緯を聞いてくれる事もなく怒られる人は多いかもしれないですね。
今は怒りたくなる親の気持ちに寄り添っています。
気持ちの向け方がわからなかったり、現状の「なんか嫌」をどうにかしたいとずっとイライラが溜まっていたんだなと知りました。
過去にいじめられましたが、いじめを悔いる人にも前向きになって欲しいです。
その人にも追い詰められる理由があったのでしょう。
兄がネットの自殺方法を見て、その方法で自殺しました。
殺人を悔いる人がいたら、その人にも前向きになって欲しいです。
学ばないと人は、自分が犯した罪の大きさを知ることが出来ません。
学びは未来にしかありません。
気づいた時に一人で苦しむので、こちらから言う必要はないかなと。
寄り添いたくない人であれば、未来に送り出すだけでいいと思います。