私は、重い発達障害を持つ人間として、この世に生まれました。
しかも、古い昭和の時代に生まれたため、発達障害の理解は全く無く、ずっと家では虐待、外ではいじめの連続で、私の居場所は、どこにもありませんでした。
無理もありません。特に古い時代には、その概念が無く、皆、知識も持っていなかったのですから。それゆえ、私は皆に、ただの「バカ」にしか見られませんでした。
私は、自分がおかしい事が、実は幼稚園児の時に既に分かっていて、大人になりたくありませんでした。
大人になって社会に出ても、通用しないことが、自分が足りない人間に生まれてきてしまったことが、分かっていたからです。
後になって、重い発達障害という障害と分かります。
ですが、昭和の古い人間の父母には、未だに私の障害の事は、理解してもらえません。
私は、中年になってしまいましたが、未だに社会に適応できず、働くことができなく、親の死後、どうしようか悩んでいます。近くに住む妹夫婦は、私に意地悪をしてきます。
普通に専業主婦や仕事をしている友人たちは、私が働かない(働けない)事を攻撃してきて、「働け!」とばかり、私に言ってきます。し、働かない(けない)でいる私を見下す態度をいつも取り続けています。
社会に出ても通用せず、仕事ができないのに、そう言われる。それは、地獄で炎に焼かれるかのような辛さを伴います。
私には、誰も味方が居ません。
自殺も考えました。が、弱虫の私は、死ぬこともできず、ただただ、辛い現実の中を彷徨っています。
困ったことに、それだけではなく、私には、どうしても頭から離れない小さなころからの「夢」なるものがあり、その夢に、今は苦しめられています。
どうしてもやり遂げたい夢なんて、無ければいいのに、と思います。
夢があることで、心が疲弊しきっていて、苦しいです。
私には、重い発達障害があり、今の私が夢を叶えるのは、困難であることは、分かり切っています。
中には、発達障害や他の障害を持った方で素敵に夢を叶え、成功していらっしゃる方もおります。が、私には、夢のための才能が無い!それが分かっています。
私は、今は自分の心が勝手に暴走し、夢のためにお金を使うことになってしまいました。
今までの少ない貯金から出さなければならないのも苦痛なのですが、私の魂が、「夢に挑戦しなかったら、死んでも死にきれない!」という悲痛な叫びをあげてしまったのも、とてつもなく苦しいです。
この年齢で、夢なんかに挑戦するなんて、本当に嫌です。
できれば、夢の事なんて考えず、のんびりとしていたいものです。テレビを見たり、読書をしたり、映画館へ色々な映画を観に行くなんてことだけの生活に、強く憧れています。
ですが、私には、それができないのです。
「夢があることは、素晴らしい!」そう思う方も沢山いらっしゃると思います。
ですが、障害の重い私に諦めきれない夢なんてものがあることは、ただただ、人生の重荷にしかなりません。
今までチャレンジしてきましたが、夢はやはり、障害が邪魔をして、叶いませんでした。
まだまだ、その夢に挑戦し続けるのは、この歳になり、とてつもなく疲れてしまいました。
健康で元気な人や、障害があっても才能のある人等が夢を持つのならばいい。
こんな重い障害を持ち、才能の全く無い私が夢を持つことを、何故神様は、決めてしまったのか、わかりません。
夢が私の人生の邪魔をして、とてつもなく、息ができなくなるほどに、苦しいです。
「夢」から正直、解放されたいです。が、それができないのが、辛いです。誰も助けてくれる人がいない悲惨な環境の中で夢を持つということに、もう、完全に疲れてしまいました。
「夢破れる!」その経験を何度もしてきているにもかかわらず、諦めない私に、ほとほと疲れてしまいました。年齢的にもかなりしんどいです。
とてもご苦労されたのですね。
周りに理解してもらえないのは、辛いことですね。
それでも、発達障害についてメディアでもとりあげられ、昭和の頃よりも世の中は変わってきているようです。
夢は叶うか叶わないは、人生の幸せに、あまり関係ないように思います。
夢を叶えることだけにこだわってしまうと、苦しいですが。
できれば、楽しく夢を語れる人が身近にいるといいですよね。カウンセラーや福祉関係で親切な方などに、出会えるといいですね。
夢のせいで辛い時もあるそうですが、夢に向かって生きよというのは、仰るように「魂の叫び」かもしれません。
生きる力、大きな情熱をおもちなのだと思います。
あなたの生き様を小瓶で知ることができました。
ありがとうございます。