失業中の私が、なぜ仕事ができない人間だと思うに至ったか?
前職は製造業の派遣社員として大企業の工場で3ヶ月働いた。私のついた仕事は①切断作業②目視の外観検査③耐性試験の実施④シリアルナンバーとエンブレムの刻印⑤内部の検査。の5つを並行して行う極めてヒマのない内容だった。その持ち場は誰も掃除などするヒマがなく驚くほど汚くものが散らかっていた。製品は数十種類のものを扱い、その一つごとに仕様があり機械の設定を合わせてゆく。使用する機械は年代物であり設定表に合わせて調整してもエラーを起こすから、エラーがないかの確認作業がとても重要であった。また2交代体制なので発注が多い時期は12時間勤務で24時間稼働する。自分を試したいような人にはこれほど刺激的な仕事はないように思う。4年続くような人は社員に登用される。
私は一回で覚えられなかったし集中力が切れるとミスをしてしまう。センスのある人は一回で覚えるが、ダメなやつは半年経っても覚えられないと忠告された。私は後者だったようだ。同じミスを何度もしてラインを止めてしまった。はじめのうちはミスを素直に受け入れて改善しようとしたが、2回、3回と続いてゆくと怒られるだけなので、報告もせず自分で対処するようになった。周りのベテラン社員は私同様忙しく働いており、いちいち構ってはいられず、ある部分ではそれでもよかった。確認作業が私は甘かった。1回見れば大丈夫と思っても、10回目にはエラーが起きている可能性があるのだ。そういうミスが多くて、「ちゃんと見たのか」と言われ「見ました」とウソをつくようにもなった。ベテラン社員やリーダー格の社員にはお見通しで、私は信用されなくなっていったようだった。「コイツは続かない」という空気が自分の回りを回り始めたように感じた。同じタイミングで入社した派遣社員のうち1人は1か月で去っていた。仕事が覚えられない事とストレスが多い事を口にしていた。出来ないなら早く辞めてほしいというのが会社の本音ではないだろうか。センスのある参入者が3年4年で社員に登用されてゆくのは、理にかなっている。
出来ないのに無理して居続けられるほどの鬼メンタルはない。出来る人の姿を見れば、自分には出来ない事は分かる。今、冷静に振り返ってみて分かったのであるが、リアリティ溢れる現場に立っている時は目の前の事でいっぱいで余裕はない。冷静になる前に、まず自分を守ろうとして無駄な足掻きをたくさんする。自分の評価や価値を自分で貶めて行き、そうして鬱病になってしまうのではないだろうか。