えもいわれぬ冷たさと、なま温かさを含んだその目を憶えている。
舌に吸い付く砂の、しゃりしゃりとした食感。吸われる感覚。地面におさえつけられた手首の芯のヒリヒリとした“あつさ”と、そこに染みる手のひらの冷たさ。そしてそれらにひどく恐怖したことを。
彼が、俺の身体の上へ覆い被さる。背中に感じる熱で、飲み込まれるかのような錯覚に陥った。
斜め後ろから耳にかかる温かい吐息は、もう逃げられないことを改めて思い起こさせ、それはひどく俺の吐き気を促した。
頭上からそそぐ獣にも似たそのあえぎに体が硬直した刹那、皮膚を引き裂かれるような痛みと、腹の奥を突かれる鈍痛が身体中を駆け巡り、普段の何倍も敏感になった俺の恐怖心は、一瞬にして嫌悪感に変化した。
一定のリズムでそがれる、俺の抵抗する力と欠片で残ったプライド。かろうじて生えていた最後の羽がもがれる音がした。
助かりたい・やめてほしい、ではなく、この時間が早く終わってくれ、と願うことはひどく惨めだった。殴られた腕と頬、それからあばかれた奥底の痛みと心に響く悲しみだけが現実感を帯び、力を失った脳を撃つ。
あちらと、こちら側の口から洩れる、用途の違う“うめき”だけが、同じ人間であったという事実を響かせていた。
意識をとばすこともできず、拡張した時間感覚の中で、ただ後悔だけが胸に渦巻いていた。
後にのこったものは、ひどくちっぽけな俺自身。白昼夢を見ていたかのごとく、いつ終わったのか、いつ消え去ったのかも分からず、胎児のようにうずくまっていた。ただ視界に入る腕の痣と砂の苦さだけが存在を訴えていた。
そうして何分かたったあと、俺は乱れた服を直し、近くにあったベンチにゆっくりと座った。身体全体に走ったひやりとした感覚に、身震いをした。
不思議と、先ほどまでの恐怖や嫌悪は跡形もなく消え去り、虚空だけが元々そこにあったかように、おさまりよく鎮座していた。
気づいたときには、俺は家のドアの前にいた。
どうやって帰ってきたのか、全く覚えていない。しかし、足だけは異様なほど疲労していた。
慣れた手つきで、砂のついてしまったバッグから鍵を取り出す。腕の痣は、長袖に難なく隠れることを知った。それはまるで、先ほどのことは夢であったのだといっそう強く語りかけてくるようであった。
家に入り、靴を脱ぎ、いつも通りの振る舞いを心掛けた。いつも演じる道化が、その時だけは大層醜くみえたことに、きっと俺だけが気づいていた。
夕食を空いていない腹に無理やり押し込み、ごちそうさまと共に、自室へ向かう。
参考書も開かず、そのまま椅子に腰かけ、天井を見上げた。見慣れていたはずのそれが、まるで初めて見たものであるかのように感じた。
脳を薄いシルクで包んだかのごとく、思考がままならない。3秒前のことですら、ひどく遠く過ぎ去った過去のように思われた。
その時何を考えていたのか、もう思い出すことはできない。
ただ、色を失った現実に、沈み込むようにまどろんでいた。
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