私は自分の誕生日が嫌いです。
なんの取り柄もない自分が生まれてきちゃった日を、"特別な日"だと呼ばれるのが大嫌いです。
「お誕生日おめでとう」と言われるのも、誕生日だからという理由で特別扱いされるのも。
誕生日を祝われたくないなんて、贅沢だってことは分かってます。
「おめでとう」と言われるだけ感謝しなきゃいけないのも。
でも自分にとってはそれが毎年苦痛で仕方ありません。
なぜ生まれてしまった日を祝われなきゃいけないのか。
そして素直に祝いの言葉を受け取れない自分も嫌いです。
ここまでひねくれてるのも正直めんどくさいし嫌いです。
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言われてみると、誕生日だから祝わないといけないとか、祝われたらありがたがらないといけないというのは、何か刷り込まれた固定観念なのかもしれないなぁと思いました。誕生日を祝うことに価値を見出ださない人がいてもいいんだなぁと思いました。
この気付きは、わたしにとって価値があります。
ななしさん
とても素直にまっすぐ自分の気持ちを書いておられますね。
全然ひねくれてなんかいませんよ。
誕生日が嫌い。
おめでとうが素直に受け取れない。
そんな自分がめんどくさくて嫌い。
いいじゃないですが。
本当のあなたの気持ちなのだから。
取り柄っていうのは、自分ではなかなか気がつかないものだけど、自分の気持ちを嘘偽りなくこうして言葉にできるのは、誰もができることではないんですよ。
しかも、しっかりと場所を選んで、吐き出してもよい場所を選んでおられるんだしね。
だから、これも立派なあなたの取り柄、魅力だと私は思いますよ。
ななしさん
誕生日は、生まれた日を祝うっていうより、あなた自身が成長した事、その歳まで生きた事そのものを、祝うものですよ。
昔は、今ほど医療も発達しておらず、弱い子供が病で死んでしまう事が凄く多かったんです。
七五三ってありますよね。あれは、7歳までの死亡率が高かったので、3歳、5歳、7歳の節目節目で、子供の成長を、死なずに生きられた事を祝い、長寿を祈願する、誕生日と似た日本の儀式です。
だから誕生日は、その年齢までよく元気に生きて成長してくれたね!頑張ったね!ありがとう!という感じだから祝うんです。取り柄があろうがなかろうが、生きててくれてありがとう!あなたの長生きがめでたい!ということなんです。
「また今年もあなたが生まれた日まで丸1年、長生きすることができて、おめでとう」が略されて、「誕生日おめでとう」なんですよ。
だから別に特別扱いしている訳では無いんですよ。
生まれた日が分かりやすく区切りがいいので、おめでたい日として祝うんです。
少し、ご納得頂けたでしょうか…?
ななしさん
深く考えない事です
でもね お年寄りにとって 誕生日 はとても大切なのですよ
1年無事に生きた 毎日 同じ事の繰り返しだが 今日を迎える事ができた また孫の笑顔が見れる 本当に有り難い と思うのです
それはね 今日を無事に生きるっていう事が とても難しく 命 というものが とても尊く儚い という事に気づくか 気づかないかの違いなんです
取り柄がないと書かれているのも 多くの人が特別な人間ではないですから 当然ですよ あなたの取り柄 (得意分野)はこれから形成されるのだと思います
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