親や兄弟、その他大勢の大人たちが自分達思春期に向ける目が大嫌い。
自分なりに考えて悩んでようやく口に出した考えでも「あーそういうのあったわ(笑)」「そういうお年頃なのね(笑)」「もっと大人になれば考えも変わるよ(笑)」って、ずっと年頃をバカにしたような回答ばかり返ってくる。
私は確信している、大人たちは皆私たちのことを思春期という色眼鏡で見ているということを。そこから通して見られた景色は全てを彼らの「思い出」に補正されて脳まで届く。私たちが感じたすべての本物を、彼らは彼らの記憶から思い出すんじゃなくて、ただ見ているだけだ。彼らにもう思春期の感情は思い出せない。私たちの気持ちを真には理解できない。経験からの勝手な憶測と、甘い思い出に溺れる懐古主義者だ。
流石にここまでは言い過ぎなのではと思うが、それでも私が時々抱く怒りは正に思春期相応に主語も感情も大きい。許してくれ。私だって大人を大人という色眼鏡で見ているのは十分自覚しているつもりなんだ。ただのませたガキの思い上がりだとしても。
私は願う、これを見た大人が見下しセンセイ面して正しく人生についてを説いてくれはしないことを。拗れたこどもを救ってあげようなんて大層なボランティアに走らないことを。
最後に保険だ。私は弱いこどもである。会社で上司に怒鳴られたことなど一度もないただのこどもである。大きな責任も背負ったことがなければ煮湯の風呂に浸かるようなストレスさえ無いガキである。これを見て呆れを通り越しイライラしてきてしまった人。こんなガキにムキにならず、子供より経験も知識も豊富な大人様は是非とも「少なくともこんなガキよりはまともである」ということを誇りに生きてもらいたい。
私もいずれ大人になるのだ。人の痛みを理解できずに自分の快楽に消費するくらいならば、いっそ死ぬのも乙かもしれない。
以上、思春期のクソデカ偏屈小瓶でした。