これは何度か言ってるんだけど、
自分の持論では長所も短所もないから、それを訊かれるとすごく困る。
長所短所がないというのは、自分を省みていないとかではなく、また、自分には特徴がないと卑屈になりたいわけでもなく、ただそう思っているのです。
簡単に言えば、自分は長所短所を「特徴」とまとめて呼んでいる、というだけの話です。
短所「うるさい」と長所「ムードメーカー」は、
多くの場合同じひとの同じ行動に使えます。
「お調子者」もきっと同じひとのことを指せるけど、これは個々人の定義によって長所か短所か変わってくるのではないでしょうか。
自分は、おどけた感じでかわいげがあって悪い意味には思えません(辞書的にはネガティヴだと思いますが)。
あるひとの特徴や個性が長所か短所かは、それを見るひとに委ねられると思います。
では自分は自分の特徴のことをどう思っているか?
自分は長所や短所を訊かれるとき、こんなふうに考えます。
けれど、それがなかなかどうして難しい。
自分は頭の回転が速いです(と自分では思っています)が、ある程度話を聞くと先が読めてしまってそこから先を聞くのがつまらなくなりますし、
面白い話のときは話のオチを先に読んでしまって意味不明なタイミングで笑っちゃったりします。
それに、ことばがすらすらと出てくるのである種軽薄に感じてしまいます。
と、悪いところのほうが目立ちますが、省みると頭の回転の速さによる恩恵だって決して少なくないです。
自分は自分の特徴に良いところも悪いところも見出しますし、もともと自分は悪い言い方を良い言い方に、良い言い方を悪い言い方に変えることは得意なので長所短所の質問は本当に難しい。
先の例の「頭の回転が速い」は世の中では長所と呼ばれるので、世の中の基準で仕分けても良いんですが、
世の中に惑わされて自分の特徴を良し悪しで区別するのはもやもやしてしまいます。
(自分はアナーキー?な性質……反骨心と言いましたっけ、そんな反「普通」的な人間なのです)
それに、「頭の回転が速い」ならともかく、「集中すると周りの声が聞こえない」はどっちでしょうか。
小2のとき朝礼が始まっているのに気づかなくて怒られたこともあれば、小6のとき教室が男子の更衣室になっていることに気づかなかったこともあります(どっちも読書に勤しんでました)。
でも周りの雑音を拾わないぶん、所謂ゾーン状態の読書は、自分が楽しくて幸せでした。
世の中の基準だって分からない(それも明確にはないと思う)のに、自分で仕分けることも出来なければどうすればいいのでしょう。
適当……も気が引けます、自分の特徴のことをぞんざいに扱いたくないので。
自分の特徴だって自分の一部なのだから、真摯に向き合いたいと思ってしまうのです。