始まりは、サザエさんを見ているときだった。
カツオがいじられ、それ以外の6人が笑うという、サザエさんではよく見かける場面だった。
私は「いじられ」と表現したが、「バカにされ」と言い換えることも出来るだろう。
これは家族がカツオを愛しているとか愛していないとかとは、ほとんど無関係であると思う。
そのときのカツオの心情がどうであったかを自分は気にする。
これは自分の主観に沿っているので、そうでもなかったらすまない。
自分が思うに、カツオは決して楽しくはなかったのではなかろうか。
いじられた恥ずかしさゆえ頬を紅潮させうつむいていたが、ひとはそんな状況にあるとき心から楽しめないと思う。
反対に、自分以外のその場にいる全員が笑っている。
所謂仲間外れの寂しさというものも同時にもっていたのではなかろうか。
自分は今YouTubeをよく楽しんでいるが、人間が出てくるコンテンツを最近気持ち悪いと思い始めた。
いや違うな、自分は笑いが怖いのだ。
行きすぎた自虐はサムいだけだが、笑いには適量の自虐や他人への罵倒が必要不可欠ではないかと思う。罵倒というと不適切だろうか、自虐の他人バージョン、先述したカツオの例と似たようなものだと思って欲しい。
誰かを貶めた先にある笑いという境地に、自分は若干の悍ましさを覚えるのだ。
そうやって恐れていても自分は面白いときには笑ってしまうし、笑わせるためのコンテンツを避けることはできない。
ただ、こういう考えに至った今、笑ったあとに不気味な後味が残るようになってしまった。
その点、ギャグアニメなどは実に楽でいいと思う。
キャラを愛しても割り切ることさえできれば、そんなもんだなと片付けられる。
笑いという攻撃の的にされても、キャラは傷つきはしないのだ。
よりによって多感な時期にこの考えに至った自分は不運だと思う。
数年後、思春期を越えたならば、笑いに慄くこともなくなるだろうか。