妊娠中、育ってないよとドクターから諦める方向性を示された。出血も産まれるまで続いて、病院探しもした。
もちろん親や親戚にも心配をかけ反対する電話ももらった。
でも、何故か大丈夫な気がして、何よりまだお腹の中で生きている子を自然に待ってやりたかった。
すぐ上の子を月満ちていたにもかかわらず、お腹の中で死んでしまい、その事をわかったままのお産をしたこともあったと想う。
超未熟児を覚悟してお産にのぞみ、産まれてきた子は3450グラムの元気な子供だった。
それはそれは可愛くて嬉しくて、薔薇の花びらのような手触りのするほっぺの感触。忘れられない。
名前も私がつけた。
おとなしい子だった。
保育園では、もっと前に出る子になるといいねと言われて、そういう子供になるよう努めた。
本人の頑張りで、いわゆる優等生になった。
今から想えば、私の期待通りに生きようと頑張ってくれていたのだろ。
いつの頃からか、しきりと家を出ていきたいそぶりをみせていたな。
私と喧嘩したりすると、お父さんのところに行くと飛び出したり。
離婚した父親のところに長女が行っていたから交流もあり、私では与えてやれないものがそこにはあったのか。
海外旅行にも父親と再婚相手とともに行っていた。
その頃からか…
少しずつ、子供の機嫌をとるようになった気もする。
みんな居なくなるなんて寂しかった。
親のエゴだった。
生きたければ行かせてやればよかった。
私のために行きたいのに我慢した、損した、というような気持ちを持って
いるような気がする。
ごめんよ。そこまで気が付かなかった。
ただ、反抗期なんだと想っていた。
そうか。
なのに、私からの見返り(?)が無いと怒っているのか?
いてやったのに。
そんな風にも聞こえてくる子供からの、至らなかったとわかるが故に免れられない追求がこわい。
戻れるもんなら、戻ってもっと望む愛を与えたい。
海外旅行には手が届かないけど、何か他のことは出来たかもしれない。
だけど。
目の前で追求し論破してくる大人になった子供は、こわい、と思ってしまう。