ぼくが死にたいっていうのに大層な理由なんてなくて、
「虐待されてる」「いじめられてる」
「過去に何らかのトラウマがある」
とかそういうのでは決してないし「誰かのせい」とかでもないんだけど、なんて言うんでしょうか。
どうにもつまらない間延びした内容の本を読み続ける苦痛を味わうくらいならその本を閉じてしまいたくなる。
演出も脚本も演者も三流未満の舞台を見続けていると特に眠くなくても寝ようとする。
そんなイメージです。
ただつまらない本を閉じたいだけなの。
ぼくは面白くても主人公を愛せないなら小説を放り投げてしまう質ですし。
色々耐えて生きているひともいるのにお前はなんて堪え性がないんだ、とか、
つまらない理由で死にたいとか言うな、とか、
まぁそう言うひともいるでしょうね、たぶん。
でもぼくの気持ちに他人の事情なんて関係ないし、つまらないかどうかはぼく自身の問題であって誰かが決めるものでもないと思うのです。
ぼくは他人に意見を押し付けたいと思わないし、押し付けられるのは厭なので、そういう意味で「誰もぼくを見ないで」って願ってしまう。
死にたいと思えど自分を殺すことが容易ではないと知っているので、せめて誰にも見られず、誰に認識されることもなく、居たい。
これでも、1年ほど前までは、自信はないけどぼくを見て、認めて、褒めそやして、なんて思っていたんですけどね。今はそんな気全くなくて、見ないでくれたらそれでいい。
……なんで宛メ使ってるんでしょうね、まぁ自分の深層心理では違っているのでしょうか、17年生きても自分のこころでさえ実態は掴めないままです。
ひとに死ぬことを強要するのは罪なのにひとに生きることを強要するのは罪じゃない、って何故なんでしょうね。むしろ死のうとしてるひとに生を強要しなければ罪になる。自殺幇助でしたっけ、ばかばかしいですね、と思ったり思わなかったり。
生存権って何ですか、生きる権利とは。義務の間違いではないですか。どんなに痛くて生きることが困難でも生きなければならないという義務。
日本では一応安楽死はグレーだったと記憶していますが、条件があまりに厳しいのでほぼ黒ですね。
実は宇宙人が遊びで人間の存在を消してるとかないですか、最初から生まれてこなかったようになかったことにする技術を宇宙人は持ってて、それでたまに暇つぶしする、みたいな。
ぼくはひとりっ子なんですが、実は妹がいて去年宇宙人に消されたので誰の記憶にも残ってない、とか。今妹がいない、ということは出来ますが、かつていたが存在ごと消された、という戯言を否定することは出来ないでしょう?……考え方的には世界五分前仮説にも少し似てますかね。ごちゃごちゃして参りました。
それで、宇宙人が明日ぼくのところにやってきて存在を消すんです。素敵ですね。誰もぼくのことを知らないんです。両親は結婚して子供が出来ないまま夫婦やってたって設定になりますね。
っていう妄想はとても楽しいです。最高です。
……ぼくはきょうもげんきです。