20歳になって初めてバイトをした。
もしかしたら初バイトの年齢としては遅いのかな。体調を崩しやすくて、先の予定を組むのが苦手で体力の関係から週1のシフト希望というのがバイトをするにあたって生じる責任を自分の心の中でハードルを高くしていた。
しかしここ一年とても調子が良く、自分で体調をコントロール出来ていたため思い切ってバイトを始めてみた。するとどうだ。やっぱりふつうの、周りの人とは違うのだ、と格差を感じた。
自律神経の関係からか、動けば汗は止まらないしひさびさの勉強で物覚えも悪い。それに体力もないので立ちくらみに貧血、意識が朦朧として重要なことでさえ聞き逃してしまう。こんなのでは雇っている会社に申し訳なさすぎる。
まだ2日目だ。バイト2日目で私は役立たずの木偶の坊で職場にいるだけで邪魔になってしまうような気持ちになっている。正直、バイトをしたことがないので比べ様が出来ないけれど、バイトというのは基本は見て覚えろ、ということなのか。直接的な指導は初日の1日、初歩の初歩しか教えてもらわなかった。
一度契約時にサラッと座学で仕事内容を教えて頂いたが私としてはメモも取れず次々と内容を聞かされてしまい何も覚えてはいなかった。あの時、メモさえ取れていれば……。
結局、私は何も出来ずにただ突っ立って勝手に疲れて迷惑をかけてしまう。
今週もまたバイトがある。今度こそ役に立てればいいけれど、もう自分には無理なんじゃないかとも思えてきた。
バイト先で怒られている人をみたら自分も怒られたように感じてその後思考がそれだけになってしまう。
昔は学校でいじめられていた子をみて自分勝手にもいじめられてる気持ちになり不登校になった。ふとその時のことを思い出している。激しい思い込みかつ被害妄想でしかないけれど、傍観者として何も出来ない自分が嫌だったのもあるかもしれない。もし言い返せれば、もし止められていれば、そんなことを毎日考えていた。
そして勝手に病んで勝手に不登校になった。いじめられてる当本人はまけずに学校へ行っていたというのにね。ひどい話だ。
ネットやニュースで不登校の話題を見かけると、いじめが原因だったり家庭環境が原因だったり、きちんと「自分」が対象になっている子が前向きに生きていることが書かれていることが多い。
しかし私は自分ではなく「他人」が対象の原因で、不謹慎かもしれないけれど、きちんとした理由があって、自分が怒る困る原因があって不登校になっている子が羨ましいとさえ思ったことがあった。
「どうして学校に行きたくないの?」
と聞かれても、
「他の子がイジメられてるから。」
って言ったら、
「あなたには関係ないじゃない」
と言われてしまう。
その通り、その通りなんだけれど、その現場さえ見たくない見れない吐き気がしてしまう。
うちの学年は大人びていたのかいじめ方も特殊だった。さもいじめられてないかのようにいじめていた。みんながいっぽその子から離れていた。腫れ物扱いだった。それを見ていて勝手に辛くなっていた。かと言って外から見ればいじめられてはいないから手の出し用もない。
そんな自分が嫌だった。
考え事は嫌いだ。無駄なことまで思い出してそれについてまた思考しなければならないから。
文章を書くのも苦手だ。着地点がどこかわからないから。人間の着地点は“死”だとして、物語の終着はみんなが幸せになったら終わりなのだろうか?考えをつらつらと並べているただの嘆きの文に着地点なぞ存在しない。なぜならこの“手紙”を書き終えてもわたしは着地できないから。
毎日死にたい。