自分にはいわゆるシャーデンフロイデというものがないのですが、それなりに生きにくくて辛いです
他人に興味がないのでしょうか、それ故か他人の不幸に全く関心が持てなくて
あっでもひとが(年齢や性別に関わらず)複数人で楽しそうに喋ったりしてる様子は自分も幸せになります、街中のカップルだって、いじらしい、とか幸せそうで和む、とか思ったりはします
ただ不幸を喜ぶ気が全く起きないだけで
まぁでも元来処世術として人間に備わっているのでしょうか、シャーデンフロイデ(やそのもとになる誰かの不幸)は世の中に蔓延っているわけで
他人の不幸を喜ばない(嫌いなひと相手でも興味ないです)ことを厭に思うわけじゃないけど、
たとえばみんなが美味しいと口にいれる料理が全く自分の口に合わなかったような、居づらさというものを感じずにはいられないといいますか
避けようとしても、そんなの、この情報の洪水の中で限界がありまして
ふつうに受けてしまうのでどうしたものかなあって感じです
極力マスメディアやSNSから距離を置くほかないと思うのですが、自分の娯楽(イラストやマンガ)を与えてくれるのもそれなので……
そう思うとpixivのアプリはそれなりにありがたいです
ちなみに嫉妬はします、自分は快楽主義で嫌なことから目を背けて生きているので嫉妬する存在から離れて2次元に籠りますが(結果認知的不協和理論?によって3次元より2次元が好きという結論に至り、今でも変わってないです)
もし黒いものがたまったときは、汚いことば(くそやろうだな、など)を言うことによって発散します
どうあがいても「他人の不幸は蜜の味」に結びつかないんですよね、えっだって関係なくないですか?
幸せのおすそ分けじゃないけど、幸せな空気は見てるだけで嬉しくなりますが、不幸オーラ出されたところで心配してみるか遠ざかるか(ケースバイケースです)になるだけなんですが
……自分は何を書いているんだろうか、
そうそう、シャーデンフロイデについてですね
それなりに生きづらいねって話です
まぁ、自分は性格的に(自分や他者の感情において)潔癖なところがあるので昔に「メシウマ」の感情を閉じ込めて殺したのかもしれませんが
自分と同じひとがいたら嬉しいです(なんとなく)
まぁそうでなくても個々に生きづらさは感じることと思いますが、結局みんなえらいです
理不尽でも無意味でも煙たがられても、どこまでも平等に、自分は全てのひとを、本当に全てのひとを愛してます
好きとは言わないけど愛してます
どうか幸せになってください、と思います
助けられるものなら助けたいです、小心者なので自発的に行動に踏み出せないのが欠点ですが
(幸せじゃないひとが一人もいなくなったとき、諍いやトラブルは完全になくなる気がします、それは自分にとってとても幸せです)
まいど拙い文章ですが一文でも読んでいただいたなら感謝です