早くしにたい。
長く生きたくない。
人生100年とかおぞましい。
尊厳死を早く日本は制度として取り入れて欲しい、余命有無別にして。
犯罪もしてない、真面目に国民の義務果たしてるのに、"長く生きる"だけ強制されるのは、非常にしんどいものがある。
気楽に人生を楽しむ、なぞ出来ないのだ。
自殺願望は今は無い。
20代社会人で鬱になった。
この世から居なくなりたいと考えた。
計画は立てた。
でもなんの行動も起こさなかった。
ダセェな、と思った。
でもそれが自分なんだと悟った。
長く生きたくない
人生戦えない腰抜けモンだ。
話は少し変わる
自分はミニマリストだ。
身の回りの荷物は最小限。
テレビもない。
引っ越しも楽で生活しやすい。
自分はアセクシュアルだ。
他人に何の興味もわかない。
何も無い方がいい。
自分は摂食障害もちだ。
でもそれでいいのだ、
病気にでもなれば。
つまり全ては、終活だ。
自分は今30代前半。
他人にはそんな素振り見せず
取り繕って取り繕って、
腹の中で、『終活してます』。
終活ノートだって書いた。
今現在むしろ長生きしたほうだ。
学生の時、
30になるまでにしぬと思ってた。
いじめられてたとかではないけど、
ただ、なんとなく。
それを、大人になって、両親から、
『やむを得ない事情が無い限り、
親より長く生きろ、親不孝者!』
とドチャクソ叱られた(そりゃそうだ)。
ちなみに、それは飲みの場で親にポロっとウッカリ喋ってしまった。
とは言え、少しの意趣返しもある。
こんな生きにくい性格にした。
間接的に親友を失くさせた。
あなた達への。
最後は私の判断だったけど。
当時子供だった、未熟だった、
親は私にとって、
いつだって、真実だった。
従うべきだった。
大きな病気にもならない。
事故にもあわない。
災害にもあわない。
感謝すべきなんだろうとは思う。
育ててくれた環境が、親が、
今の自分を形成してる。
それなりに真面目だ。
曲がった事が嫌い。
喧嘩も嫌い。
犯罪ももってのほか。
それなら自己犠牲した方がいい。
だから、辛い。
でも、他人に攻撃的になる方がもっと辛い。
まだ、自己犠牲した方がマシ。
でもだから辛い。
ある日、
親が事故や災害にあってくれないか、
それで居なくなってくれないか。
そう、思ってしまったことがある。
そうしたら自分はどんなに楽なのだろうか、と。
曲がった事が嫌いな自分は、
親不孝者な自分を責め、
その夜、自己嫌悪でしにたくなった。
八方塞がりだ。
とにかく
親から物理的にも精神的にも
距離を置きたかった
まず、物理的に
家を出た。
ほんの少しだけ、楽になった。
でも根本は変わらなかった。
親は存命。
ここ数年会ってない。
電話はする。
電話の終わりの挨拶はいつも
『じゃあ、また、元気でね』
あの日叱られた言葉を思い出す。
摂食障害がぶり返す。
トイレに籠り
色んな感情を吐いて流して。
全部空っぽにする。
そして、
のらり、くらりと。
今に至る。
最近友人に会うと、
生存確認!と言われる
仮面も剥がれつつあるのかもしれない。
腰抜けの親不孝者は
今でも早くしにたいと思ってる。
妙な親の呪縛だ。
無ければ、全部どーでもいい。
この身体、金だけ持って何処かにいって
おっちんじまってもいい。
本当どーでもいい。
どうでもいい。
他人様に大きな迷惑はかけないうちに。
早くしにたい。
長く生きたくない。
今もギリギリまだ、まだ、
少しでも楽しいと思えている
(自分を騙している)うちに。
早くしなせてくれないだろうか。
長く生きたくないんだ。
私の人生は私のものなんだよ!
縛らないでくれ!!!
護らないでくれ
早くしにたい。
長く生きたくない。
と思うだけは、
勝手だよね。
って思って書いた。
もうこれは、
ここで吐き出して終わり。
何処かに出したかった。
後はもう、
しぬまで腹の中で抱えてく。
ありがとう小瓶。