頑張ることが出来ない。
何かに夢中になることが出来ない。
物事に対して執着することが出来ない。
何処か自分の中で、『やってなにになる?』『どうせ無駄だ』『頑張ったところでまた無になる』そう思えて仕方ない。
いつのまにか諦める癖がついた。どこか一線を置いてしまう。
自分の人生なんだから自分が主役だと言うけれど、どうしても第三者目線で傍観してしまう。
『楽しむ』ということを何処かに置き去りにしてきたのかもしれない。
頑張ることの楽しさも達成出来た喜びも、昔はわかってたはずなのに。
今はただただ、ミスもないように、周りに迷惑かけないように、それしか考えてない。
今は何も感じない。楽しいと思うことも、嬉しいと思うことも、悲しいことも、苦しいことも。
ただ、周りが心配しないように戯けた道化を演じては、気付いた時には1人の時は知らない間に頬には涙が流れてる時もある。
どうして私は泣いているのだろうか。悲しいことも辛いことも無いはずなのに。
でもこんな想いを周りに悟られてしまってはきっと可笑しい子だと、ダメな子なんだと、人として出来損ないだと思われてしまう。
だから、寝て起きた今日も『私』を演じる。
ちゃんと感情があるように魅せなければ。
普通の人であるように。
何も思わなくて感じなくても、そこには感情があるように相手に思わせるのが、私としての役なのだと、そう思う。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください
ななしさん
私も基本何も感じません。
全てどうでもいいから。一緒ですね。
でも、皆も結構そうなんじゃないかな。
意外とみんな、変な人だと思う。
変な人だと思われたくなくて必死で普通を演じてる。
そんな薄っぺらい関わりで感じるものなんてないですよ。嘘か本当かも分かんないことだらけですから。
だから人にどう思われてるかなんて後回しにして、もっと自分のために自由に生きて下さいね
完璧主義者なんですね。
お疲れ様です。
笑っている人が、必ずしも心から笑ってないと思う事があります。そういう人を見つけると、知り合いでもなんでもなくても、お疲れ様って言ってします私です。
頑張らないのは、きっと難しいのでしょうね。
私は、命を絶とうとした後に結果、生き残ってしまった後、心は死にたいと願うが、体は生きたいと願ってるのだと思い、誰に白い目で見られようが、生き続ける事にして今に至ります。
昔は、あなたのように頑張って生きてました。
頑張って、頑張って・・そして、自分は何も出来ない価値の無い人間だと痛感し、死を選ぶ事ばかりの毎日でした。
でも、今はそういった『がんばること』を止めました。
頑張っても、自身が傷つく以外無いと知ったから。
頑張るのは、勝手にその時が来たら頑張るもんなので気にしなくてイイと思いますw
自分の好きな事、好きな音楽、食べ物、心を落ち着かせてくれるもの・・そういうモノに身をゆだね、私は考え方を変えました。
あなたも、自分の為なら感情も沸くと思いますが・・
今の『他人の為に頑張ってる自分』の状態では、そりゃ・・感情無くなりますよ。私も一時期陥りました。
あなたが、他人への気遣いで自身を傷つけ続ける毎日ではなく、あなたの元々の人格や性格を自身で再認識する所から始めてはいかがでしょうか?
まずは、自分の好きな〇〇を箇条書きで思いつくまま、思いついた時に書いてみて。それとは逆に、自分の嫌いな〇〇も。自分はこういうのが好きだ。とか、こういった事は嫌い(もしくは苦手)と。
再認識したあとは、無理してると思う事を書いてみて。
ココロが疲れたり、苦しんでいるからこその涙なんですよ。その涙が流れる事で、あなたはまだ続けていられてるだけ。
その涙が流れ切ったら・・、そう思うとあなたを知らない私は、悲しい気分になります。
どうか、あなたの為にあなた自身を大切に、これからを生きて下さい。
少しでも参考になれば良いのですが。
長文、失礼しました。
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